「私はお母さんの携帯が大嫌い」 親子関係をむしばむデバイス依存

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私は1971年生まれのジェネレーションXで、白黒テレビとともに育った。10歳になろうとしていた頃、カラーテレビが初めて家に来て、父は夕方6時のニュースをつけた。10分で飽きた私は、飲んでいたチョコレートミルクをテレビ後部のブラウン管へと注ぎ込み、カラーテレビは一瞬でおじゃんとなった。

一家はその後しばらく、テレビなしの生活を送った。

もちろん、その当時はタブレットやスマートフォン、コンピューターなどのデバイスはなかった。家族が家庭用ゲームのアタリ(Atari)を買ったのは1982年で、私はどちらにしろ1日30分しか遊ばせてもらえなかった。

この子ども時代を思い出し、私は考えた。技術は人間を救うはずだった。私たちは忙しいスケジュールから解放され、のんびりとした生活を楽しめるようになるはずだったのではないか? しかし、現実はそうではない。

人は多忙になり、「常にオンで、常に忙しい」と考えるのが当たり前になっており、こうした現状に対する懸念は高まるばかりだ。特に、私たち大人の技術との接し方は、子どもたちに間違ったメッセージを送っているのではないかと思う。

英経済学者ジョン・メイナード・ケインズは1930年、「Economic Possibilities for our Grandchildren(孫たちの経済的可能性)」というエッセーで、2030年には1週間の労働時間が15時間になると予測していた。数年前にこれを初めて読んだとき、誤字ではないかと思ってしまった。51時間の間違いに決まっている、と思ったのだ。

世界恐慌の真っただ中に書かれたケインズのエッセーは、私たちが将来、消費のための消費という欲求に苦しまなくなることを示していた。人間の仕事のほとんどを担う新技術の登場で人々は解放され、生活水準は格段に向上して1週間に15時間しか働く必要がなくなる、と。

2018年となった今、ケインズの予測が実現する可能性は、コリン・キャパニック選手が再びアメフトをする可能性と同じくらい低く思える。

現状は、人々の消費からの解放には程遠く、むしろ真逆の方向に進んでいる。物とサービスの消費はいったん脇に置いておくとして、私が興味を持っているのはコンテンツの消費だ。

これは異なるタイプの消費だが、現代の家族には今までにも増して重要だ。

心ここにあらずな状態で、特にはっきりとした理由もないままコンテンツ消費のわなに陥ってしまうと、人間関係を損なってしまいかねない。特に問題なのが、子どもたちとの関係だ。

子どもとの食事の席で、親がその日の出来事や学校、勉強についての会話をせずにデバイスを取り出し、株のポートフォリオやメッセージ、ソーシャルメディアなどをチェックし始めたら、子どもにどのような見本を示すことになるだろうか?

そうした親は、コンテンツ消費依存に陥っている。常に忙しく、子どもはそれが普通だと思っているのだ。
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編集=遠藤宗生

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