「私はお母さんの携帯が大嫌い」 親子関係をむしばむデバイス依存

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私はこうした光景を、サッカーの試合やレストラン、公園、ピクニックなどで、常に目にしている。あまりに多くの親が、子どもと一緒にいながらもコンテンツ消費をやめられずにいる。子どもに注意を払うことをやめ、「ゲーム・オブ・スローンズ」ならぬ「ゲーム・オブ・スクロールズ」の中で自分を見失ってしまったのだ。

ケインズは、人が消費の必要性よりも余暇と教養のある生き方を優先するときが来るだろうとある程度考えていた。しかし私たちは、そのようなシナリオからは程遠い場所にいる。自己管理ができず、頭を使わないコンテンツを(特に子どもたちの前で)消費することをやめられず、今その瞬間に注意を向けなくても良いのだという模範を子どもたちに示している。

多忙さがニューノーマル(新たな常態)となり、私たちは消費の種類を追加することで、余暇と教養の生活からはどんどん遠ざかっている。

今その瞬間を生きることへのフォーカスと意志を取り戻さなければ、子どもたちは誰かと一緒にいるときでも自分一人の世界に入り込んで良いのだと思い込んで育ってしまう。さらには、直接顔を見てではなくデバイスを通して会話することを選ぶようになるだろう。米紙ウォールストリート・ジャーナルによると、10代の若者は既に、対面よりもネット上での会話を好む傾向にある。

私たちは今、ケインズの予測からこれまでにないほど遠ざかっているのではないか。

デバイスによる消費依存を最もうまく示した例は、米国の小学2年生の女の子が示したものだ。女の子は今年、担任教師からクラス全体向けの課題として、「あなたが嫌いな発明と、その理由を書きなさい」と問われた。

するとこの子は、こんな切実な回答を書いた。

「わたしのきらいな発明を言うとすれば、けいたい電話がきらいです。けいたい電話がきらいな理由は、両親が毎日つかっているからです。けいたい電話は、とてもわるいくせになるときもあります。わたしはお母さんのけいたい電話が大きらいで、お母さんがけいたい電話を持っていなかったらいいのにと思います。これが、わたしのきらいな発明です」

この例は、不安をかき立て、非常に悲しいものである一方で、まさに現代のニューノーマルとなってしまった。

編集=遠藤宗生

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