球団が消えても愛は消えず、地元が支える米マイナーリーグ

スポーツバー「 ニッケル・ジョイント」に飾られているアマチュア、独立リーグ、マイナーリーグの選手らの写真


古くから野球が盛んだった背景もあり、セントポールとミネアポリスには、マイナーリーグ史を語る上で重要な球場がある。

セントポール・セインツの本拠地レキシントン・パークと、ミネアポリス・ミラーズの本拠地ニコレット・パークだ。1961年のワシントン・セネターズのミネアポリス移転に伴い、1960年限りで消滅するまでの約60年間にわたり、セインツとミラーズはライバル関係にあった。勝率ではミラーズが1位、セインツが2位、優勝回数は共に9回だった。

毎年、デコレーション・デイ(現在のメモリアル・デイ)、独立記念日、レイバー・デイには、レキシントン・パークとニコレット・パークの両球場で行われるダブルヘッダーが恒例行事だった。午前中に片方の球場で試合を行い、トロリーカーで移動し、午後にもう片方で試合を行った。

「記念碑」という地元愛の結晶

新球場ミッドウェイ・スタジアムの建設に伴い、レキシントン・パークは1956年シーズン限りで閉場し、跡地には、グローサリーストアができた。店内には、かつてホームプレートがあった場所に記念碑があった。しかし、店が移転し、経営者が代わると、記念碑は撤去されてしまった。

しかしその後、跡地にTCF銀行ができ、1994年にハンスレー・アメリカ野球研究協会が元セインツの選手とファンから募金を集め、銀行前に新たな記念碑が完成した。

記念碑がある場所には、かつてレフト側のフェンスに沿ってコロシアム・パビリオンというダンスホールがあった。TCF銀行の窓ガラスもレキシントン・パークの写真がデザインされている。銀行がこの歴史的な球場の継承活動に積極的に関与していることが伺える。

一方、ミネアポリスでは1956年、新球場メトロポリタン・スタジアムの開場に伴い、ニコレット・パークはその使命を終え、跡地にはノースウエスタン・ナショナル銀行(現在はウェルズ・ファーゴ銀行)ができた。銀行がある場所は旧球場の右中間があった場所で、その近くには、スペイン風の屋根をしたチケットオフィスがあり、この球場のシンボル的な存在だった。

セインツと同様、地元の人々は、ミラーズの歴史を放置することはなかった。1983年、ミラーズの元ファン、元選手、銀行による募金活動によって、銀行前に記念碑が完成した。



こうして、かつて双子のようなライバル球団があったツイン・シティーズは、それぞれ球団が長く本拠地としていた球場の跡地に銀行ができ、地元の人々の多大な尽力によって、同じように記念碑が建てらえている。

ジャーナリストのブライアント・ガンベルは、「他のスポーツはただのスポーツだ。野球は愛だ」と語ったという。アメリカでは、野球と国とが強く結ばれており、野球というスポーツが成熟し、普及し、定着し、国民の心をしっかりと捉え、そして愛されているからだろう。

そう、野球は大衆に愛され、国技になったスポーツなのだ。跡地に残る記念碑は、彼らの深い地元愛の結晶と言える。

連載:「全米球場跡地巡り」に感じるロマン
過去記事はこちら>>

文=香里幸広

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事