有休を修行につぎ込み20年 ひた走れば「縁」は自然と生まれていく

私を料理修行へと駆り立てた「トルテッリーニの宿」の職人、イリス(左)


こうして、いつのまにか、私の有休2カ月の挑戦は終盤を迎えていた。あっという間のような気もするし、1年間くらいあったような気もするのは、あまりにも濃い毎日と、あまりにもかけがえのない経験を積み重ねたからに違いない。

大見得切って会社を飛び出してきたからには、手ぶらで帰るわけにはいかない。そんな焦りに日々追い立てられて、かっこ悪いほど貪欲に求めようとする異邦人を、煙たがったり鬱陶しがったりするどころか、行く先々で出会ったすべてのイタリアの人たちが、あたたかく、大らかに応えてくれたことに、ただただ感謝しかない。

強面総務課長の意外な返事に涙

そんな時間を過ごしているうちに、会社に伝えていた出社日を過ぎていたことに気づく。もしものときに備えて、有休は使い果たさずに少し取っておけという局長の言いつけもあり、会社には出社日として1週間早い日程を伝えていたのだ。

ここで嘘をついても仕方がないので、開き直って、総務課長に正直にメールする。この課長、若い頃はさんざんやんちゃしていたらしいのだが、定年間近になり総務課長に就任してからというもの、一転して規律規範に厳しい管理職の鏡のような人になっていた。

「泥棒が警察になった」とささやかるほどの強面だったのだが、意外にも、たった1行で返ってきた返事に、それまで蓋をしていた不安がスーッと消えて、代わりにポロポロと涙が溢れてきたのを覚えている。

「ご存分にやるがよろし。あとは私がなんとかします」

もう帰る場所はないかもしれない、そんな不退転の覚悟で殻を割ってパーンと飛び出した先には、なぜか必ず、受け皿がある。誰かが必ず、守ってくれる。そして、ひたすら一心に、ぶれずに、好きなことに邁進していると、不思議と次々に縁が生まれ、一歩一歩、道が拓けていくのかもしれない。

翻って、昨今の働き方改革ってやつはどうなのだろう。お膳立てのように会社から用意された余暇は、果たして、社員個人に、そして会社に、真の変化をもたらすことができるのか。働き方改革は、組織から変わるのではなく、個人から変わらないと意味がない。

ハングリーという言葉は好きではないけれど、焦りや覚悟のようなものをどこかで抱えながら、何かを始めることから生まれるものは、やはり強い。



なんて、偉そうに言ってみたけど、かくいう私だって、いまでは毎年のイタリア行きも「あいつはそういう奴だから仕方がない」と周囲にすっかり諦めてもらっているのをいいことに、この頃のような捨て身の冒険から遠ざかって久しい。そろそろ初心に戻って、一か八かを掛けるような新しい一歩を踏み出さないといけないな。

連載 : 会社員、イタリア家庭料理の道をゆく
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文=山中律子

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