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2018.10.14

連邦法の拡大で、ケネディ大統領の名演説が皮肉に聞こえる?

ジョン・F・ケネディ元大統領(Photo by: Diamond Images/Getty Images)

ケネディ大統領が暗殺されたとき、「大統領を殺してはいけない」という法律はなかった。そんなものが必要なのかという声が聞こえてきそうだが、ちょっと待って欲しい。

法律がなかったゆえに、犯人のオズワルドは、(生きていれば)事件のあったダラス、つまりテキサス州の裁判所で(普通の)殺人罪の裁判を受ける予定だったのだが、これはいまのアメリカの感覚からするととても奇異なことなのだ。

連邦政府を代表するトップの人間を警備し、スケジュールを立て、あらゆるケアをするホワイトハウス(連邦政府)にとって、そのトップの殺人事件を、州法の裁判所で裁かれるのは不都合が多い。

まず、州法違反容疑であれば、FBIは捜査もできない。そして、大統領を暗殺するという最大級の社会的影響を合衆国に与えても、その州が死刑制度を破棄していれば、被告人は無期懲役どまり。抑止効果も弱くなり、次の暗殺計画を呼び込むことにもなりかねない。さらに、自分たちはどこまでも被害者の関係者であって、原告(検察)にもなれずに、傍聴席に座るだけで、裁判になんの影響力も行使できない。

こうしたことから、ケネディ大統領が暗殺された後、連邦政府は「大統領を殺してはいけない」という法律をつくる。さらに、ケネディ大統領の弟で、当時、大統領への有力候補であった、ロバート・ケネディ上院議員が暗殺されると、今度は「連邦議員を殺してはならない」という法律をつくった。

州をまたいだ途端に逮捕も

アメリカは、イギリスから独立した経緯からして、もともと中央政府を信じず、ローカル政府にこそ権限が与えられるべきだという精神で建国されている。だから、連邦法にできるだけ権限を与えず、州の独自性を重んじ、州法の自由度を憲法で尊重してきた。

今日、全米の犯罪の90%以上は、州の裁判所で州法違反として裁かれている。しかし、ケネディ大統領の暗殺のように、ひとつひとつの具体的事象をもって、連邦政府は連邦法の管轄範囲をじわじわと広げているというのが現状だ。実は、この連邦vs州の闘いが、アメリカの「国のかたち」を確実に変化させている。われわれ日本人にはとてもわかりにくいところだが。

民事を見ても、かつては商取引のほとんどは州内でのできごとなので、州法のなかでの係争となったが、アマゾンのようにeコマースが進み、州外取引が活発になってくると、これは連邦法管轄になる。

このダブルスタンダードは、近年、ますます激しくなってきた。たとえば、大麻の合法化問題だ。大麻は、いかなる場合でも、その所持も使用も連邦法は禁止している。しかし、いまやほとんどの州で医療目的の使用を許可し、さらに29の州では、この何年かで娯楽利用を認めるに至っている。

たとえば「娯楽用大麻許可」の先駆者であり、中心地ともなっているコロラド州デンバーで、町中で大麻を買った人間がデンバー国際空港に行くとどうなるか? 

セキュリティチェックポイントを過ぎたとたんに、そこからは連邦政府管轄となるので、当然、彼のバッグに入っているそれは非合法薬物となる。実際に逮捕も起きている。
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文=長野慶太

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