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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

かつて、SF小説の巨匠、アーサー・C・クラークが、『地球幼年期の終わり』(Childhood’s End)という作品を遺している。現在の人類は、人間に譬えて言えば、まだ幼年期にあること、そして、その幼年期が終わるとき何が起こるかを描いた、想像力に満ちた作品である。

また、『資本論』という歴史的大著で知られる、経済学者・哲学者のカール・マルクスは、その著作の中で、「そのとき、人類の前史の時代が終わる」との言葉を遺している。現在の人類が、資本主義の段階を超え、どのような社会経済体制に向かうかを描いた一節での言葉である。

このクラークとマルクスの未来像の是非は、さておき、筆者は、現在の人類が、いまだ「幼年期」にあり、「前史の時代」を歩んでいるという二人の洞察には、深い共感を覚える。

では、いかなる時代を迎えたとき、人類は、その「幼年期」を終え、「前史の時代」を終えるのか。

本稿では、敢えて筆者の思索を語り、読者の自由な想像力と批判に委ねよう。

それは、人類が宇宙開発技術を発達させ、この太陽系を脱する時代でもない。情報技術の発達により、人工知能が人類の能力を超える「シンギュラリティ」の時代でもない。さらには、遺伝子工学の発達により、不老長寿が実現する時代でもない。

それは、我々人類が、自分たちの精神の可能性を、十全に開花させる時代であろう。

例えば、大脳生理学の研究によれば、我々人間は、脳細胞のせいぜい2割程度しか使わずに、人生を終えていくという。また、深層心理学の研究によれば、我々は、心の奥深くに宿る能力の、ごく一部しか開花させることなく、年老いていくという。

それが事実であるならば、もし、我々が、すべての脳細胞を活用するようになったならば、何が起こるのか。もし、我々が、心の奥深くに眠る能力を最大限に開花させたならば、何が起こるのか。

実は、それを教えてくれるのが、歴史上、様々な分野で現れ、去っていった「天才」と呼ばれる人々の姿ではないだろうか。

例えば、ダ・ビンチ、モーツァルト、空海……。我々は、これら「天才」の姿を見ると、その人並外れた才能に驚嘆し、称賛するが、一方、心の奥深くで、「自分は天才ではないから、あのような才能を発揮することは不可能だ」と思い込んでしまう。

文=田坂広志

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