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2018.10.20 11:30

食と神社と祭りと文化 太宰府天満宮が教えてくれたこと

太宰府天満宮(shutterstock.com)

太宰府天満宮(shutterstock.com)

学問の神様で知られる天神様、菅原道真公が祀られる福岡の太宰府天満宮。受験の際にお世話になったという方も多いのではないでしょうか?
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そんな太宰府天満宮は、僕にとっては庭のような存在で、幼少期は両親や祖父母に連れられて足濃く通ったものです。

ただ、全くもって学問に縁のない幼少期、僕にとってそこは、祖母の踊りの稽古場であり、家族で俳句を読む場でした。また、春には親戚一同で花見をし、夏にはカブトムシを探しに行き、秋には少年団の芋煮会に参加し、冬は大晦日にお参りに行くなど、四季を感じる場でもありました。


梅が咲き誇る2月。この記事には短歌、俳句、川柳を詠む「梅まつり大会」も開催される(写真=太宰府天満宮)
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9月4日、その太宰府天満宮で「食サミット」を開催しました。この地を選んだ理由は、天満宮が日本の食を含めた歴史を一番蓄積・理解している場であり、またこのコラムで「喰い改めよ!」と原点回帰を謳う身としては、やはり地元開催が最適だと思ったからです。

明治維新の策源地

太宰府は、かつて「遠の朝廷」と呼ばれた大宰府政庁が置かれ、アジア諸国と日本が交差した地です。福岡や博多港が大きくなった今、太宰府が交易の拠点だったことはあまり知られていませんが、遣隋使らが帰国の際に目印にしたのは太宰府の隣の天拝山の老松であり、海外から入ってくる様々なものは太宰府政庁で吟味し、奈良や京都に運んでいたと言われています。

「天神さま」と親しまれる天神信仰も、太宰府天満宮が発祥の地です。そもそも「天神さま」とは、道真公に「天満大自在天神」という神様の御位を与えられたことが起源。学才豊かだった道真公ゆえ、学問のイメージが強いですが、天神信仰は平安以降さまざまな変遷をとげ、現在では「学問・至誠・厄除けの神様」として崇敬を集めています。

また、太宰府天満宮は、幕末に尊王攘夷派の5人の公家「五卿」が滞留したことから、坂本龍馬や西郷隆盛、土方久元をはじめとする多くの幕末の志士たちが訪問し、薩長同盟を結ぶきっかけを生みました。

五卿の一人である東久世通禧の日記に、「土州藩坂本龍馬面会、偉人ナリ奇説家ナリ」という記録もあるように、龍馬がここで過去について調べ、西洋の新しい知識と五卿の見解を得て、温故知新や和魂漢才を改めて唱えたという経緯から、太宰府は「明治維新の策源地」とも言われています。


今回の食サミットの会場となった文書館(写真=太宰府天満宮)

漢字をきっかけに「温故知新」

さて、食サミットでは3部門に分けて、食の過去・現在・未来についてトークセッションを行いました。

まず「食と歴史」では、太宰府天満宮禰宜である味酒安則さんと、クックパッド ブランディング・編集担当本部長の小竹貴子さんに登壇いただき、味酒さんからは太宰府の歴史を、小竹さんからは現在のビックデータから学べることを伺いました。

興味深かったのは、漢字から食材のルーツを読むということ。胡麻、胡瓜、胡椒、薩摩芋、南蛮漬け、砂糖、唐揚げ、唐辛子(南蛮辛子)、唐柿(トマト)など、実は、漢字が食材の経路を示していて、中国から時計回りに入って来たものには「胡」、琉球、鹿児島、長崎経由の反時計回りに入って来たものには「唐」や「南蛮」が入っているといいます。

現在当たり前にいただく食材を漢字で表してみると、表面的な名称ではない、字の持つ意味を含めたあり方を学び直すことができる。これこそ温故知新で、未来へのヒントを見出すきっかけとなりました。
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文=松嶋啓介

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