「食とアート」のセッションでは、伝統にとらわれない人形師の中村弘峰さん、地域のプロジェクトデザインするリージョンワークス代表の後藤太一さんとともに、アートとデザインの違いや日本の西洋化について議論。
明治維新以降に入ってきた多くの西洋文化により、日本の教育やライフスタイルはアップデートされたものの、それは形骸的に真似ただけで、まだ十分に取り入れられていないのではないか? という問いを得て、文化を育んでいくうえでは、道真の言葉「和魂漢才」または「和魂洋才」のようなバランスが大事だと改めて感じました。
「漢学に精通しつつも、日本文化の心は失わない」と遣唐使を廃止し、日本独自の文化を尊重した道真の考えは、グローバル化が進んでも日本人の心を失わないようにするという意味で、世紀を超えて現代、そして未来へ残されたメッセージのようです。
境内に残る和魂漢才歌碑(写真=太宰府天満宮)
また、どうしても学問のイメージが強い太宰府天満宮ですが、「神社とは本来、人間の感覚を研ぎ澄ませたり、育てるための場所である」ということを、会が始まる前、かつて五卿が滞在したという延寿王院の縁側で、台風で出張が取りやめになったという宮司夫妻から聞きました。
その縁側というのも、そもそもは「月を愛で、詩を読む場所だった」ということで、ただ学んで情報処理するのではなく、自然に対して五感を働かせ、感覚処理をすることの大切さを痛感。また、台風によって宮司との対話を持てたことに、「神風が吹く」とはこういうことかと感謝しながら、自然と共に生きることこそが豊かであり、それこそ日本人が大切にしてきた生き方ではないかと気づかされました。
神社と祭りと文化
天満宮の年間スケジュールを見ると、様々な催事が行われています。なかでもお祭りは、食材が祀られるなど、必ず食と結びついているものです。また、地域の知恵や知識を伝承していく共同作業でもあるため、天満宮がそのハブの役を果たす太宰府では、世代を超えて文化が継承されています。
住んでいる頃は気づかなかったのですが、太宰府市に元気な高齢者が多いのは、こうして文化を愛でる場所を共に育めているからなのかもしれません。
皇室のご安泰と国家の平安、五穀豊穣を感謝する秋のお祭り「神幸式大祭」(写真=太宰府天満宮)
高齢化社会も随分と進み、リカレント教育も注目される今日ですが、全国の神社仏閣で、季節を詠い、踊りを楽しみ、祭りをして自然や地域と共に暮らす豊かさを学んでいければ、薄れゆく地域コミュニティの再生につながるのではないでしょうか。
特に祭りでは、語源である「間を吊り上げて」元に戻すということを通して、崩れかけた地域の「間」を修復しながら、地方創生を考えていける気がします。そして、そこで「食」が果たす役割は大きいはずです。
連載:ニース在住のシェフ松嶋啓介の「喰い改めよ!!」
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