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世界38カ国、800万人が愛読する経済誌の日本版

雨季の6月、スコールのような大粒の雨が降り続ける。だが、このホテルの会場内は、晴れやかなレセプションに参加した大勢の人々の、静かな興奮で溢れている。日本とミャンマー両国が、ヤンゴンで開局する日緬合弁の番組制作会社のスタートを祝っているのである。宴もたけなわ、舞台には6名の音楽家が立った。率いる2名は日本人の夫妻、4名がミャンマー人である。

山本祐ノ介氏はチェリストにして指揮者、妻の小山京子氏は欧州中心に活躍するピアニストである。彼らこそ、休眠中のミャンマー国立交響楽団再建の立役者であった。長年、西洋音楽に無縁だったミャンマーで、有為の音楽家たちを辛抱強く指導し続け、交響楽団が定期演奏できるまでにもってきた。スーチー女史来日の折には、同女史から直接感謝の言葉を貰っている。

演奏は夫妻によるガスパール・カサドの『親愛の言葉』で開演した。山本氏は「日本とミャンマーの絆を表現するのに最適だと考えました」と漏らす。

民主化が再開されて7年、当初のミャンマーブームはやや下火になった観がある。ASEAN最後のフロンティアと期待され、高い経済成長を見込まれていた同国だが、最近ではやや勢いが弱まっている。少数民族問題が先鋭化するなか、国際世論も厳しい。スーチー女史の人気は相変わらずだが、内外の複雑で錯綜する政治経済のなかで、進路を容易には決めかねているようだ。

経済成長率は7%台と決して悪くない。財政は慢性赤字に苦しんでいるものの、インフレは安定傾向にある。現地企業の8割が景況はまあまあ、とみる。外資系もほぼ似たイメージを抱いているが、現地企業よりも先行きには慎重だ。とくに日系企業の利益見通しが、ミャンマーブームに沸いた2012年比でかなり悪化していることが気になる。海外からの投資は15年あたりをピークに減少気味でもある。そのせいか、入国者数も4年前の水準に逆戻りだ。

日本が苦節20年をかけて開設に尽力した証券取引所は、上場銘柄数が増えているものの、取引はまだ閑散といった状況にある。どの途上国も企業金融の市場化には時間を要するので、我慢のしどころである。

日本とミャンマーは歴史的に単純な関係ではなかったが、東アジアの国々と比べると、基本は友好ムードが続いているといってよい。イギリス統治の軛くびきから同国を解放した原動力は日本であった。むろん、国益が底流にあったから単なる美談ではない。日本が太平洋戦争中、米英や中国を牽制する要所として、当時のビルマを位置付けていたことは間違いない。半面で、日本の支援を受けていた独立の英雄、アウン・サンとて、イギリスを巧みに利用していた。

それでも、多くのミャンマー人の日本への視線は優しい。終戦後、ミャンマーは講和を結ぶ前にもかかわらず、食糧難に苦しむ日本に大量のコメ輸出を断行した。戦時賠償も他国に比べて控えめな要求であった。1963年、賠償増額交渉に来日したミャンマー代表団のアウンジー代表は、冒頭こう口火を切った。

「私は賠償問題の代表ではなく、家族の課題を兄に相談する弟の立場なのです」。戦勝国から完全否定されていた大東亜共栄圏の「日本は兄、アジアは弟」の理念を、何の衒いもなく淡々と述べたのである。

文=川村雄介

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