道の向こうに何がある? 「運命は踊る」が描く皮肉なる人生

(左)ミハエル役のリオール・アシュケナージー、(右)ダフナ役のサラ・アドラー((c) Pola Pandora - Spiro Films - A.S.A.P. Films - Knm - Arte France Cinéma – 2017)

(左)ミハエル役のリオール・アシュケナージー、(右)ダフナ役のサラ・アドラー((c) Pola Pandora - Spiro Films - A.S.A.P. Films - Knm - Arte France Cinéma – 2017)

目の前に1本の道が延びている。荒地のなかを行く道だ。少し揺れながら、車両の運転席から撮られたその映像は、行く手に何があるのかと、いやがおうでも観客に想像を喚起させる。40秒ほど、このミステリアスな冒頭シーンが続いた後、やにわにフェルドマン家の呼び鈴を鳴らす映像に変わる。

フェルドマン家を訪れたのは、軍の役人で、長男のヨナタンが「戦死」したことが告げられる。妻のダフナはその場で卒倒し、夫のミハエルは沈黙を続ける。悲しみに包まれるフェルドマン家に、ミハエルの兄アヴィクドルが訪れる。手際よく訃報の準備をする兄に、ミハエルは違和感を覚える。

やがて、軍のラビがやってきて、葬儀の段取りをミハエルに伝える。長男の死を自分の目で見届けたいというミハエルに、ラビはその必要はないと答える。「遺体はあるのだろうな。それとも棺の中は息子と見せかけた石なのか?」と、ミハエルの怒りは増幅していく。そこに、再び軍の役人が訪れ、「亡くなったのは、同姓同名の別人で、息子さんは生きている」と告げる

映画「運命は踊る」は、その題名の通り、運命に翻弄される人々を描いたヒューマンドラマだ。原題は「FOXTROT」で、1910年代初頭にアメリカで流行した社交ダンスのステップから採られているが、これを踊るシーンもいくつかの場面で登場する。ともすれば無責任で売らんかなのものが多いなか、この「運命は踊る」は、なかなか考え尽くされた邦題だ。


(c) Pola Pandora - Spiro Films - A.S.A.P. Films - Knm - Arte France Cinéma – 2017

物語は大きく3つに分けられている。とくに3つを隔てるテロップやタイトル映像などはないが、明らかに舞台と時間が異なる物語が、順番に進行していく。

1つは、冒頭に書いたフェルドマン家を訪れる悲劇。ここでは父親であるミハエルの物語がメインだ。2つ目は、兵士として検問所の任務についている息子ヨナタンの物語。3つ目は、ミハエルの妻であり、ヨナタンの母親であるダフナの物語だ。

1つ目のミハエルの物語については冒頭で触れたが、その後、ヨナタンの「戦死」が誤報であったことから、ミハエルの軍に対する怒りが爆発。ヨナタンの任地さえ答えられない軍の役人に向かって、すぐに「息子を現場から連れ戻せ」と叫ぶ。そして、有力なコネを使って軍の上層部に働きかけ、息子を家に呼び戻すことにする。結果的には、このミハイルの行動が、皮肉にもさらなる悲劇を生むことになる。

2つ目以降の物語がどのようなものかは、ネタバレとなるので、詳述することは避けるが、検問所で任務にあたるヨナタンの身に衝撃的な事件が起こり、3つ目の妻ダフナの物語では、ミハエルの行動に端を発した出来事から、夫婦の関係は別居状態にあり、その理由が何であるかに焦点が絞られる。
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文=稲垣伸寿

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