ドリーマーズ・ファンドの4人が知り合ったのは、偶然が重なっている。「誰かのために働く」というささやかな行為が4人をつなげたといっていい。
矢田公作はハーバード大学時代、マーク・ザッカーバーグとは同じ寮の廊下を挟んだ部屋に住んでいた。「始まる瞬間を目撃したんだ」と、矢田は言う。
「これはすごく稀なことで、貴重な体験だと思うのだけど、アイデアが生まれ、フェイスブックという名前で世の中の役に立つものとして、一気に人々の生活に溶け込み、大きく早く育っていくプロセスを、アーリーステージから目撃しました」
ザッカーバーグの姿に学んだのは、経済的な成果より先に、毎日、商品を改良し続けていたことだったという。「ビジネスモデルが先ではない。もはやアートであり、ニーズに対してどう解決して対応すべきかに、マークは集中していました」
ハーバード大学時代のマーク・ザッカーバーグ(右)と共同創業者のダスティン・モスコービッツ(2004年9月撮影)
フェイスブックに矢田は投資こそしていなかったものの、“世紀の大化け”を身近で目の当たりにした彼は、のちにそうした経験からひとつの流儀を身につけた。それは、彼の次のセリフに表れている。
「どうしたら、僕はきみたちを助けられる?」
アイデアにすぐ投資をしようとする投資家ではなく、「アイデアがグローバルに活用されるために何ができるか?」を先に考える。お互いに信用を築いていき、そしてアイデアが世界に受け入れられる大きなサービスに育てていく。
ウィル・スミスとの出会い
大学卒業後、日本人の血を引く彼は、日本での仕事を考えていた。投資銀行で働くつもりが、友人の誘いで、プロバスケットボールリーグのレラカムイ北海道(現レバンガ北海道)のコーチになった。08年にはドラフトで東京アパッチに選手として入団。だが、転身のアイデアを思いつく。
「ハーバード時代のコミュニティの中で日本と関わりをもっているのは僕だけだったので、日本に行きたい人たちが僕に連絡をしていました。みんな日本が好きだし、日本に進出したいアーリーステージの米企業を助ける、コンサルティング会社を設立することを思いついたのです」
2011年のある日、大学時代のクラスメイトが矢田に助けを求めてきた。COOを務めるソーシャルコマースサービスのスタートアップが「日本に進出したい」と相談してきたのだ。
「何が必要? 戦略? それともパートナー?」
いつものように何が助けになるかを聞き、取引先の開拓を手伝うと、その会社のCEOが「お礼をしたい」と、こう言ってきた。
「今度、ウィル・スミスが東京に行く。ウィルに『コー(矢田の愛称)に会うべきだ。コーはすごく助けてくれているから』と言っておいたよ」
ウィル・スミスやツイッターの創業者であるジャック・ドーシーがその会社の出資者であることは知っていた。が、ウィルとの面会は予期しないことだった。ウィルのマネジャーからは、「面会の制限時間は5分。映画のプロモーションで忙しいから時間がないんだ」と連絡が入った。
ウィルと会ったときのことを矢田が回想する。
「アメリカ人の多くは、1990年から6年続いたTV番組『The Fresh Prince of Bel-Air』(NBCの人気シチュエーション・コメディ)を見ているので、ウィルを若い頃から知っている。実際に会ってみると、あの番組のままの飾らない人でした。常に彼は人に興味をもち、自ら質問をすることで相手をリラックスさせ、人となりを知ろうとする。
彼はこう聞くんです。モチベーションは何か? バックグラウンドは? なぜ東京にいるのか? 単なる会話ではなく、意味のある関係性を築くのが大事だとウィルは思っている。僕らは5分の予定が会話は3時間続きました。お互い馬が合い、僕がロサンゼルスに行ったときに会おうという話になったのです」