上司との定期面談でそう聞かれて、すぐに答えられる人はどのくらいいるだろうか? もし、同じ質問をされたら、正直、私はうまく答えられない。
おそらく、この手の質問に迷いなく言葉が出る人は、今どき少ないように思う。変化スピードが年々速く感じられる世の中において、“中長期的な将来のキャリアプラン”について具体的に考えることがあまり意味を持たないということを、誰もがうっすらと感じているのではないだろうか。
5年後、10年後に向けた計画がそのまま実行できた時代には、地上から特定の星を目指して突き進むような“望遠鏡型”のキャリア展開が可能であったし、推奨されていた。
しかし、今は“万華鏡型”のキャリア展開をイメージしたほうがいいと言われている。つまり、遠くの星を追いかけるのではなく、目の前に見える一つの模様が起点となって、水平方向に広がっていくキャリアである。
万華鏡の模様は見方を変えるだけで形を変え、隣の模様同士が合わさって、また新たな模様を形成していくアート。偶然の出会いが思わぬチャンスを生んで、ボランティアや複業といった社外活動が本業とのシナジーを生む過程と、とても似ている。
キャリア論の世界では昔から「Planned happenstance theory(計画的偶発性理論/計画された偶発性理論、スタンフォード大学のクランボルツ教授らによる)」が提唱されてきた。「個人のキャリアの方向性を決める要因として、偶発的な出来事が大半を占め、その偶然を引き寄せる計画が重要になる」というこの理論が、今再び脚光を浴びている。
では、望遠鏡型キャリアから万華鏡型キャリアへと変わろうとしている時代背景を知った上で、こう言われたらどう感じるだろう。
「時代は変わってきている。だから、将来の目標はぼんやりでも構わない。その代わり、目の前のことに本気で打ち込んでみよう」
それでもなお「本当に大丈夫なのか?」と不安を抱く人がいるかもしれない。当然だと思う。なぜなら、私たちは子どもの頃からさんざん“夢を持つことはいいことだ”と教わってきたからだ。それも、夢は大きいほど素晴らしい、と評価されるのが一般的だった。
ただ、周りと比べて冷めた子どもだった私は、大人たちのこの期待にいつも疑問を持っていた。中学時代には、「将来の夢を書きましょう」という授業に違和感をもち、担任の教師だけでなく校長にまで議論を投げかけたこともあった。
「今は将来のことより、目前に控えたラグビーの県予選のことしか考えられません。どうしても勝ちたいから。だから、夢はその後に考えたいです。いま夢を強いて書くなら、僕は将来普通の暮らしがしたい。それしか思いつきません」
嘘をついてでも、例えば「医者になって、アフリカの子どもたちを助ける」のような大きな夢を語ると褒めてもらえるかもしれない、と心の中では思っていた。ただし、思ってない夢を語り、安心し合うのは、中学生ながら「善」ではないと感じていた。