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2018.09.29

メジャーで愛される日本人グローブデザイナーと忘れられない戦い

ウィルソン スポーティンググッズ社のグローブデザイナー 麻生茂明氏(左)とアストロズのホセ・アルトゥーベ選手


麻生氏はアマチュア選手も積極的に支援する。シカゴの日本人ソフトボールチームや少年野球チームの練習にもしばしば顔を出し、修理が必要なグローブを見つけると、それまで穏やかだった表情が職人の鋭い表情に変わり、黙々と修理を始める。そんな麻生氏が僕は大好きだった。僕の愛用グローブは、麻生氏が型付けした宝物だ。

麻生氏と野球グローブの話になると、よく話題になるのがカービー・パケットとKP92だ。麻生氏は、パケットの名前が出ると決まって頬を緩める。その大きくて真っ白な歯をこぼしながら、パケットとの思い出を語り出す。これまで出会ったメジャーリーガーの中で、最も人格が優れた選手だったという。

パケットといえば、ツインズとブレーブスが争った1991年のワールド・シリーズだ。

ブレーブスが先に3勝し、大手をかけた第6戦。初回にツインズがパケットの3塁打などで2点を先制し、3回のブレーブスの攻撃。1アウト1塁からロン・グラントが放った打球は左中間への大飛球……これをフェンス際でパケットが見事ジャンピング・キャッチ。

試合は、3対3のまま延長戦に突入し、11回裏にパケットがサヨナラ本塁打を放つ。パケットの攻守にわたる大活躍によって勢いにのったツインズは、第7戦も延長戦をサヨナラ勝ちで収め、ワールドチャンピオンになった。

パケットはその後、緑内障で右目を失明し、現役を引退。そして間もなく、心臓発作により45歳の若さで急死してしまった。2001年に野球殿堂入りしたこの名選手は、小柄でずんぐりとした体つきと、人懐っこく明るい性格で、選手からもファンからも愛された。


ミネアポリスのターゲット・フィールドにあるカービー・パケットの像。

2014年に解体されたメトロドーム

そのパケットが活躍した1991年のワールドシリーズは、空気圧で膨らませる屋根が東京ドームのモデルともなったヒューバート・H・ハンフリー・メトロドームで行われた。

1982年にオープンし、ミネソタ・ツインズが2009年まで、NFLのミネソタ・バイキングスが2013年まで本拠地としたこの球場では、1985年にオールスターゲーム、1987年と1991年にワールドシリーズが開催された。

メジャーのポストシーズンの風物詩となっているホーマー・ハンキー(チームカラーのハンカチを振り回して、相手チームを撹乱させる応援方法)は、1991年にこのドームで行われたワールドシリーズで誕生したと言われている。
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文=香里幸広

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