ビジネス

2018.11.01

創業メンバーが明かす、KDDI参画後の七転八起

左から 山崎大輔、古川健介、森岡康一



 
森岡は渋谷の神泉にあるnanapiのオフィスで、古川をこう口説いたという。

「2000万人いるnanapiのユーザーを循環させる、インターネットの中の山手線をつくろう」

古川は「面白いですね」と乗り出した。実現方法を話すと、「本当にできるのか?」と訝しげな表情に変わったが、最終的にはパッションで押し切った。こうして、KDDIによるnanapi買収が決まった。その間、わずか3カ月しかかからなかった。

仲間を得た森岡はその後、グノシーやウェザーニュース、NAVITIMEを含めた12社13サービスとのアライアンスを締結。こうして冒頭の14年10月、「Syn.」構想がローンチした。翌15年にはKDDIの子会社となったビットセラー、nanapi、そして山崎大輔率いるスケールアウトの合併によってSupershipが誕生することになる。

「このまま進めば行けるんじゃないか」。だが、森岡の淡い期待は、すぐに不安に変わった。「3年で100億円」を目指した出航から間もなく、Supershipは厳しい状況に立たされる。「Syn.」構想による売り上げは、当初の予想を遥かに下回っていた。アライアンスを結んだ会社に対して毎月数百万〜数千万円の配当を想定していたが、現実は数十万円程度だった。

「正直、最初の1年はしんどかった。思わず髙橋さんに『事業をピボットしよう』と漏らしてしまったほどです。髙橋さんには、『お前、逃げるのか』と言われたんですけどね」

KDDIの信用力、資本力を使って勝負に出る─失敗できない責任感、周囲からのプレッシャーを超えるため、試行錯誤を続け日々。しかし、なかなか思うようにはいかず、「大変そうだけど頑張れよ」といった慰めにも似たエールを送られ、森岡は一層、悔しい想いを重ねた。

巻き返しも容易ではなかった。売り上げが伸び悩んだ要因を、森岡はこう分析する。「アライアンスを結んだ会社に対して、レギュレーションを取り決めることができなかった。そうなると、例えばメニューバーを開く場所がアプリによってバラバラになってしまって……。結局ユーザーにとっての使いやすさを提供できなかったんです」
 
一部の会社からは、「やってても意味がないよね」という声も聞こえ始めた。そして17年の初頭、森岡は「サービス中止」をひとり決意する。「苦渋の決断というよりも、自然な流れというほうが正しい表現ですね」と森岡は言う。

森岡の意思決定を後押ししたのは、データシフトだった。「Syn.」構想自体の売り上げは伸び悩む一方で、8700億件以上の膨大なログデータを解析・統合した国内最大級のデータを活用した、Supership DMP(データマネジメントプラットフォーム)による広告配信プラットフォームの収益は右肩上がりで成長していた。その伸び率を見て、森岡はこう思った。

そもそもデータ同士がつながっていれば、最終的にユーザーの暮らしは便利になる。例えば、自動車メーカーがITベンチャーのデータを活用してビジネスを展開できれば、結果として新しい商品・サービスが生まれる可能性が高まり、ユーザーもその恩恵を受けられるのではないか。

「アプリでユーザーと表面的につながるよりも、データがつながって企業のサービス発展を支援していく。これこそが僕たちの『やるべきこと』だ、と。けんすうや山崎に話してみたら、『いいんじゃないですか?』といつもの調子で受け入れてくれました」
 
17年秋、森岡はKDDIの社長となった髙橋に、役員室で報告した。「Syn.」構想の現状やSupershipの方向性が変わってきていることを知っていた髙橋が反対することはなかった。そして、18年7月。サービス中止の発表に至った。

「確かにSyn.構想は完全な失敗でした」
 
森岡は振り返る。KDDIがこの壮大な構想につぎ込んだ資金はおよそ100億円。これが泡と消えた。
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文=田中嘉人 写真=小田駿一

この記事は 「Forbes JAPAN ストーリーを探せ!」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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