リンクスコースが多い英国ではインランドコースにも珠玉の名コースがいくつかあるが、中でもホッチキン・コースは、米ゴルフマガジン誌の「ワールドランキングTOP100」で世界一に何度も選ばれている米パインバレーに相当すると言われるほどの、最高のインランドのヒースランドコースである。
中世ではイングランド第3の規模の都市だったリンカーンから十数マイル、ウッドホール・スパ・ゴルフ・クラブにこのホッチキン・コースはある。
ウッドホール・スパ・ゴルフ・クラブにはホッチキン・コースとブラッケン・コース(1998年に開場)の2つのコースがあり、合わせて36ホールで構成されている。この地にナショナルゴルフセンターがあることから、イングランドゴルフ協会の総本山とされ、イングランドはもとより、英国中、世界中からプレイヤーが来場している。
最初このコースは1890年に9ホールで開場し、1895年には18ホールまでコースを広げた。1902年、さらなる拡大のために新しい土地が必要ということで、地元の土地所有者で著名だったスタッフォード・ヴィア・ホッチキンが土地を提供した。また、全英オープン覇者のハリー・バードンがコース設計家として任命され、1903年1月24日にはハリーがこの地を訪問。その際、開場当初からある古い9ホールを回って早速、当時のコースレコード35を達成したというのはクラブの歴史に刻まれている。
各所に深く入り組んだバンカーが待ち受ける
コースの建設はその地質や天候不順のために難航したが、2年かかって1905年4月24日に完成した。開場記念のエキシビションマッチにはいわゆる巨匠3プレイヤーであるハリー・バードン、 ジェームズ・ブレイド、J.H.テイラーの3人も参加し、早速コースレコードの68がテイラーによって達成された。同じ日にはブレイドも同じく68で回ったと記されている。当時のコース全長が5500ヤード程度とのことである。
1911年には我らがハリー・コルトがコースの再設計を依頼され、3年後の1914年にはコースの経路は変わらないながらも距離が6400ヤードへと延長された。同年5月の開場記念マッチでプレーしたテッド・レイとトム・ボールはプレー後、「英国広しといえど名コースの一つになった」と絶賛したと言われている。