ブロードウェイと「glee」の俳優、T・レオンが語る自らのルーツ

俳優のjテリー・レオン(Santiago Felipe / by Getty Images)

テリー・レオンの両親は、息子をハーバード大学へ進ませ、医師か弁護士にさせたいと思っていた。「僕の両親は、大学を出ていないブルーカラーの移民。僕にはハーバードに進学して、年収10万ドル以上の医者や弁護士になり、経済的に安定してほしいと思っていた」

レオン自身は自分をパフォーマーだと思っていたものの、生活の苦しい演技の道を進むことについて、両親はいい顔をしなかった。なので、従順な息子だったレオンは学校で良い成績を上げ、ニューヨークの名門スタイベサント高校へ入学した。

人生の転機となったのは1996年、米国大学進学適性試験(SAT)を受けた日だった。親からの仕送りを全て溜め込んだレオンは、試験後にTKTSの窓口へ行って、ラントフォンタン劇場で上演されていた『ハロー・ドーリー!』の半額チケットを購入した。主役のドーリーを演じていたのはキャロル・チャニングだった。

「彼女はテクニック的に世界一という訳ではないけれど、彼女がスターであるゆえんは、大きな劇場でも彼女が自分一人だけに向かって歌いかけているように感じさせることにある」とレオンは解説する。

自分の人生をつかむことについてのチャニングの歌を聴いたレオンは、ひらめきを感じた。「人生は短いのだと気づいた。僕は本当に医者やエンジニアになりたいのだろうか? 僕が本当にやりたいのは、キャロル・チャニングのやっていることだ!」

レオンは、ハーバード大学ではなく、カーネギー・メロン大学の名高い演劇プログラムのオーディションを受けた(同プログラムの卒業生には、レスリー・オドム・Jr、ジョシュ・ギャッド、ビリー・ポーター、ジョシュ・グローバンらがいる)。レオンは見事に合格。それからはずっと、前を見据えて走り続けてきた。

同じ時期、ブロードウェイミュージカルの『レント』を観た彼は、また別のひらめきを感じた。「僕のような人々がステージに立っているのを見たのは初めてだった。僕の心に響いたのは音楽だけでなく、僕の知るニューヨークを体現する多様なキャストだった。この物語の中に自分がいることを想像できた」

それから10年後の2006年、レオンは『レント』の最終ブロードウェイ公演のキャストに加わった。本番までは3週間しかなかったが、指導役のステージマネジャーからは「今までこのショーをやったことがないとは本当か? とてもよく理解しているけれど」と言われたという。それに対しレオンは「この10年間、頭の中でずっとこのショーに出ていました。僕は、41丁目でホームレスと雑魚寝しながらレントの20ドルのラッシュチケットを買うために並んでいた高校生の一人です。16回か17回は観たはずです」と答えた。
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編集=遠藤宗生

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