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日本紛争予防センター理事長 瀬谷ルミ子

目まぐるしいスピードで変化し、複雑化する世界。数年前に思い描いた自分の将来像もあっという間に時代遅れになる。自らの本質へと近づく転身とは何か──。

瀬谷ルミ子は「武装解除人」と呼ばれることに違和感をもっていたという。彼女は20代からNGO、国連PKO、在外大使館を職場とし、武装解除のプロとしてルワンダなど世界の紛争地で活動した。

「2003年から2年間はアフガニスタンの日本大使館で、国連やカルザイ大統領と連携しながら、武装組織の兵士に武器を返納させる説得を行ってきました」

しかし、彼女はこうも言う。

「夜、寝ていても武装勢力の解体のことを考えてしまい、アフガンでは精神的にかなり疲れていたと思います」

理想と現実のギャップ、能力の限界、バーンアウト。そんなことが頭にちらつきながら、「一般的に武装解除とは、武器を回収して、職業訓練を施すイメージをもたれています。しかし、殺された側の遺族にとって、加害者と同じ社会で共存するのは容易ではないのです」

転機となったのは、30代に入って休息を取ったことだった。帰国して、2児の母にもなった。20代のころは、「経験を積んでスキルアップしなければ」という焦りがあったが、拠点を日本に移した彼女は「できない自分」も受け入れられるようになったという。そこで瀬谷が見出したのは、新たな「働き方」である。

運営が窮地に追い込まれていたNGOの事務局長に就任し、組織の立て直しを始めた。紛争地を奔走するイメージが強かっただけに、当然、周囲は意外に思った。彼女が考えたのは幅広い平和構築である。「争いが起きる前に防ぐ取り組みが必要だと思っていました。現地で調停人を育成したり、また、争いが起きると野次馬が集まって暴動に発展することもあるので、現地の長老やリーダーと予防策を練っておくことも必要なのです」

瀬谷が最終的に思い描くのは、「平和のビジネス化」だという。

「紛争を抱えた国に進出する企業を支援しつつ、企業にも関わってもらう。また、日本で虐待を受けた人を支援しているNPOの力を借りるなど、智恵と力を結集させることはできます」

住む社会は違えど、困難に陥る仕組みはどこも同じだと彼女は言う。日本を拠点に、紛争や争いごとで人生を翻弄されている人をなくしたい。任務地は変わっても、瀬谷の思いは変わっていないのだ。

瀬谷ルミ子の転機

・在アフガニスタン日本国大使館での勤務の後、休息を取得。
・日本紛争予防センター(JCCP)の事務局長に就任し、組織の建て直しを始めた。
・自身の半生などをつづった『職業は武装解除』を2011年に出版。


瀬谷ルミ子◎認定NPO法人日本紛争予防センター理事長。英ブラッドフォード大学修士。紛争後の武装解除などが専門。国連PKO、外務省、NGO職員として勤務。

文=フォーブスジャパン編集部、飯島裕子 写真=小田駿一

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