知られざるトルコ南岸の「魔性のリゾート」フェティエの魅力

パラグライダーも楽しめるオルデニズのビーチ


フェティエは「食」も充実している。トルコ料理は世界三大料理に数えられているのだが、あまり馴染みのない日本人にとっては、どうしても「ケバブ」などを思い浮かべてしまう。

しかし、実際にトルコに行ってみると、その食事は野菜中心で、なかなかヘルシーだ。胃がもたれたり、食べ飽きたりすることもなく、かなり食事を楽しめる。旧市街の真ん中にはフィッシュマーケットがあり、地中海で獲れた魚をその場で選び、市場内のレストランでいただくこともできる。

フェティエはリゾート地としてイギリス人やドイツ人に人気だ。そのため、イスラム教国のトルコであっても、街中にはパブだったりスポーツバーだったりと、酒を供する店も多い。ホテルも充実していて、海沿いには小洒落たリゾートホテルも揃っている。街を歩けば猫が多いのも、なんともトルコ的で、のんびりとしたリゾート気分を増幅させてくれる。

フェティエの街は、他のリゾート地とは違い、とくに垢抜けた街ではない。しかし、むしろそれが心地よいのだ。コート・ダジュールやコスタ・デル・ソルなどの世界的なリゾート地が高級レストランだとしたら、さながらフェティエは地元の定食屋といったところか。よくわからないのだが、なぜかクセになる。そんな「魔性のリゾート」がフェティエなのである。

自分の場所を見つけた大阪人女性

さて、そもそもどうして僕が、日本ではその名もほとんど知られていないフェティエを訪れることになったのか。それは、この街にひとりの日本人女性が暮らしていたからである。大阪からフェティエに移り住んだ北平幸世さんがその人だ。



幸世さんは、現在、現地での通訳や、フェティエを中心としたトルコの観光情報を発信したり、観光客の案内をしたりする「うみがめ食堂」を主宰している(食堂の名前はフェティエの海に生息する「うみがめ」に由来する)。

幸世さんとトルコとの出会いは20年ほど前。当時、日本で主婦と仕事を両立させていた彼女は、旅行で訪れたトルコが気に入り、トルコ語の勉強を始めた。その後、離婚を経験し、心機一転、第二の人生のスタートとして選んだ場所が、なんとトルコのイズミルだったという。

イズミルで2年を過ごしたのち、一度は日本に戻ってくるも、その間にトルコ語のブラッシュアップや、現地で生活していくための人脈づくりに勤しんだという幸世さん、一時帰国から8年後の2014年、満を持してフェティエへと移住を果たしたのだ。

トルコへ移住するなんて、それだけでもなかなかの冒険だと思うのだが、よりによってフェティエである。イズミルだったらまだ知名度もあるが、なぜ誰も知らないフェティエを選んだのだろうか。

「当初はイズミルに住もうと思ったのですが、トルコを離れている8年間でイズミルの街が大きくなってしまったのです。あまり大きな街には住みたくなかったので、小さくても最低限の街の機能が備わっていて、気候が暖かい場所を探しました。寒いところには住みたくなかった。それで見つけたのがフェティエでした。それにここは野菜や果物も豊富で、値段も安い。やはり食は重要ですからね」

幸世さんいわく、フェティエと同じトルコ南西部にある街でも、たとえばアンタルヤなどは湿気が多いという。その点、フェティエは湿度も低く、年間を通して過ごしやすかったのだという。

そうはいっても、ほんとうにフェティエへの移住を果たしてしまうとは、恐れを知らぬ大阪人のなせる技であろうか。幸世さんが移住した当初は、知り合いは誰もいなかったそうだ。「魔女の宅急便」のキキがそうであるように、縁もゆかりもない土地で自分の居場所を見つけるのは、たいへんな作業である。それも海外でとなると、相当な苦労があったことだろう。
次ページ > 自分で見つける「理想のライフスタイル」

文=鍵和田昇

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事