無能だった私を変えてくれた凄い人たち──元オグルヴィ共同会長 タム・カイ・メン(前編)

面白いアイデアを見た時のカイは、童心に戻ったように微笑むのでした(Photo by Ben Gabbe / WireImage)


一方で、日本とは異なり、国の経済が右肩上がりで、広告クリエイティブの仕事が社会の中で高い地位にあり、CDが尊敬される職種であることから、他のアジア各国のCDたちは日頃の自分の立場とのギャップに戸惑っていました。

カイの気迫は、そんな彼らのプライドを圧倒していました。「アジアのクリエイティブのレベルを上げる」。そのための障害は全部乗り越えるんだという覚悟が全身から溢れ出ていました。

当時のカイは、「趣味は、世界中の優れたアイデアの収集だ」と言っていたように、古いものから最新のものまで、世界中の広告はもちろん、広告以外の表現からも優れたアイデアを学び、ストックしていました。

そのため、何よりも“オリジナリティの大切さ”に関して、いろんな場面で、繰り返し語っていました。すべての表現には、(考案者が意識しようがしまいが)すでに何らかの似た前例が存在するものです。だから、元ネタそのままのような工夫の無い表現や、新しさが加えられていないものを唾棄し、我々に禁じていました。

そして、この言葉も繰り返し言っていました。

「ルールがあるなら、それを疑え。そこに新しい表現の可能性を探るんだ」

さて、クリエイティブマインドを刺激された会議から帰国すると……。オグルヴィの東京では、電通時代のように、待っていれば有名スポンサーの仕事が与えられる状況ではなく、新規企業に売り込みに行く営業活動をする日々が続きました。そして、周りの人々からの支援のおかげで、日本生命、サントリーなどの大手企業との仕事が少しずつ開拓できました。

その翌年、私の誕生日に、カイからバースデーカードが届きました。そこには、たった一行、こう書いてありました。

Never Never Never give up!

日本の広告業界の勢力図を知るからこその言葉でした。このフレーズのおかげで、その後、私は何度も自分のクリエイティブ人生の危機を踏ん張ることができました。いや、これは、今も効いています。

2年後、私はオグルヴィへ転職した本来の目的を果たすために、世界へ出て行くことにしました。そして、カイの元で働くことになるのです。(後編へ続く)

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無能だった私を変えてくれた凄い人たち
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文=松尾卓哉

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