奥山由之を魅了する、写真が持つ「見せすぎない色気」とは #30UNDER30

写真家 奥山由之


写真は「人に何かを伝える」ためのもの

──奥山さんにとっての「写真の立ち位置」ですか。

はい。僕にとって写真は、ビジュアル表現ではなくて「人に何かを伝える」「人と何かを共有する」ための術だ、とその時に思ったんです。

しかもそれは、ものすごく少数の相手、常に「対ひとり」か「対数人」に向けて伝えるためのもの。多くの人のために、という気持ちはさらさらないです。

──なるほど。

多くの人に届けたいという意識だけで作られたものは、大抵の場合、狙い通りに多くの人に深く刺さることはありません。大概、「刺さる」というより「見える」だけに終始します。

例えば広告ポスターって、ほとんどがそういうものですよね。多くの人に「見せよう」と思えば思うほど、ただ「見える」。視覚上ポスターが目に入るだけ。

最初から「こんな統計があります」「だいたい世の中の人はこんなこと思うよね」「こういうものが今評価されているよね」という大多数の平均的思考を元にして作られたものは、どうしたって角を丸くせざるを得ないケースが多かったり、どこか既視感のあるものになりがちだと思うんです。

人間はそれぞれに違うのに、それでも多くの人が同じように言うこと、というのは「常識」だったり、言い方を変えれば「正しいけれどつまらない」ということだったり。結果、沢山の人が見たけれども、数日後には次の新しい情報に上書きされてしまう。

僕は、"伝える"というのベクトルの始点と終点にいる人が少なければ少ないほど、純度が高く、強くなりやすい、と思っています。「自分のこの気持ちをあの人に伝えたい」という強く、そして個人的なベクトルこそが、結果的に多くの人の心に残るのだと思っています。それは……湖に投げた石に波が立って、その余波が広がっていくように。打ち込んだ点は1点でも、その余波を周囲が受け取っていく状態です。


『Girl』

──奥山さんの写真が、脳裏から離れない理由がわかった気がします。

例えば、「みんなこういう歌詞が好きだよね」みたいに統計をもとに書かれたラブソングと、「あの人に届けたい」という想い一心で、誰か1人が誰か1人のために書いたラブソングがあったとして、結果的に多くの人の心に深く残るのは、後者だと思うんです。数字で言うのもよくないですが、80点くらいのものなら、統計などを元にしても作り出せるのかもしれません。

けれど、500点のもの、つまり国民的な爆発的表現というのは、いつだって、誰か個人の強い気持ちからスタートしていると思うんです。もちろん、少人数で作り出したものが良いものだ、と言っている訳ではありません。起点、スタート、作品の根幹に、個人の強い気持ちがありたい、ということなんです。

そこから、その起点となった気持ちが、アウトプットまでの過程でどこまで綺麗に残っているか。それが勝負だと思います。一緒に作る人によっては、その起点を、もっともっと強く、且つ伝えやすいものにしてくれる人もいるかもしれませんよね。それが複数人で共に作品を作ることの醍醐味です。

 「プロ」ではなく「極端なアマチュア」

──いま、たくさんの仕事のご依頼がきていると思うのですが、仕事を選ぶ基準も、奥山さんが「伝えたい」と思えるかどうかなんですか?

そうです。僕は自分のことを、世間一般で語られる意味の"プロ"ではなく、極端なアマチュアだと思っています。だから、撮影の依頼があった場合に、自分が撮れるのかの基準は、「この人のために撮りたい」と思える相手がいるかどうか。誰か「個人」のためにしか撮れないから。

それは、誰でもいいんです。クライアントの方でも、被写体の方でも、アートディレクターの方でも、ヘアメイクさんでもスタイリストさんでも。好きだ、と思える人たちのためであれば、逆にどんな内容でも撮ります。

──クライアントからの要望にはどう答えるのでしょう?

自分の意見とは異なる要望があった場合は、その要望の理由をしっかりと理解してから撮るようにしています。つまり、特に明確な理由のない"ルールなので"みたいな事柄に対しては、混乱してしまうことが多いです。

──あくまでも、奥山さんが伝えたい写真なんですね。

そうですね。極力、嘘はつきたくない。写真って簡単に嘘をつけてしまうだけに。けれどだからこそ面白いっていうのもありますよね。
次ページ > 写真が撮れなくなった時期

文=明石悠佳 写真=小田駿一

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事