イェール大学で電子工学を学ぶ19歳のアンは、ある時、コピー取りのアルバイトをしていた工学部のオフィスから、講演に訪れたあるビジネスマンのキャンパスツアーをする仕事を任された。
カテドラルのような美しい建物が立ち並ぶイェール大学のキャンパスを案内しながら、アンは彼に、学生生活や勉強のことなど次々と話した。春休みには、シリコンバレーのパロアルトにある実家に戻る予定であることも告げた。すると、そのビジネスマンは自分もパロアルトで仕事をしているのだといい、思いついたようにこう提案した。
「春休みに、私の仕事に密着してみませんか?」
そういえば、自分のことばかり話していたと気づいたアン。彼はいったい何者なのかと思い、聞いた。
「あなたはどんなお仕事をされているのですか?」
彼は答えた。
「ヒューレット・パッカードのCEOをしています」
その人物は、当時、同社でCEOを務めていたルー・プラットだった。
フォーチュン50に入る大企業のCEOがなぜ一学生の私にそんな提案を? 戸惑いを感じながらもアンはプラットの仕事に1週間半にわたって密着した。
彼は自ら車を運転し、助手席にアンを乗せ「さあ、行こう!」と色々な会議を回った。 その後、アンの元にプラットから送られてきた一通の手紙。封を開けると、2枚の写真が入っていた。
1枚は、アンがプラットのオフィスのカウチに座っている写真、もう一枚は別の日に訪れたマイクロソフト会長のビル・ゲイツが同じ構で座っている写真。世界を変えたパワフルな人物と、アジア系の無名の少女が同じカウチに座っていた。
それまで、自分が世界に影響を与える人物になる可能性がある、とは考えたことがなかった。それは、アンから見える世界が変わった日だった。
ルー・プラットから送られてきた2枚の写真。今もオフィスのデスクに飾られている。
折しも医師の道に進むべきか思い悩んでいた時。アンは決めた。ビジネスの世界に進もう!と。
それから23年、少女は米フォーブスの「最も影響力のあるベンチャー投資家ランキング」に2年連続で選ばれ「スタートアップ界最強の女性」と呼ばれるアン・ミウラ・コーとなっていた。運用額は約560億円、約90%が失敗すると言われるプロダクトが市場に出る前の初期ステージ投資を果敢に行う。彼女はいかにして、シリコンバレーで約8%と言われる女性ベンチャーキャピタリストとしての道を切り拓いたのだろうか─。