大自然の中の過酷な旅、過去を生き直す女性の実話


荒れ地をとぼとぼ歩きながら「なにこれ?」「いつやめてもいい」と繰返し呟く様子は、先の見えないコース=人生に戸惑っているかのようだ。テントを張るのに一苦労し、燃料の種類を間違えていて冷たいお粥を幾日も食べるはめになる。だが誰しも初体験の失敗から学びつつ、先に進まねばならない。

そんな中で頭に去来するのは、母のこと。明るい母と過ごした子ども時代の幸せな時間や、中年になって自分と同じ大学に通う向学心溢れる母の姿。貧しくても常に前向きであった母の思い出が、シェリルの支えになっている。



途中の町に着くまでに手持ちの食糧が尽きた夕方、トラックに乗せてくれた農夫にシェリルは少し警戒するが、やがてそれは杞憂とわかる。ここで蘇るのは、夫との過去だ。憎しみ合って別れたわけではなく、PCTに発つ前も電話で話した彼との間に、昔何があったのかはまだわからない。

町で新しい燃料を買い、暖かいお粥が食べられるという幸せを味わった後では、補給物資を送ってくれる友人エイミーの顔が浮かぶ。ささやかな幸福を感じた時に、「そう言えば、昔から何かと支えになってくれてたな」と思い出したりするものである。

川で遭遇し、歩き方や心構えについてヒントをくれたハイカーのグレッグは、「人生、あんまり気負わない方がいいよ」と教えてくれているようだし、荷物の減らし方を伝授したキャンプ地の老人エドは、「無駄なものを捨てて身軽になれよ」と言ってくれているようだ。

男たちの親切に触れて思い出すのは、生意気盛りの頃の自分と、それを見守る母の笑顔。自分より少し先を行く者のさっぱりした優しさを、シェリルは噛み締める。

一方、毒ヘビに遭遇したり、雪の中で迷ったり、山頂から崖の下に靴をおっことしたり、PCT初挑戦のシェリルを見舞う大小さまざまなアクシデントは尽きない。

「生き直し」に送られるエール

こうした中で、不治の病で苦しむ愛馬を死なせてやってくれと頼む母、銃を構える弟、ガン末期の母、母の死のショック、絶望と自暴自棄、結婚生活から逃げて行きずりのセックスを繰返す日々、ヘロイン中毒、暴力的だった父、迎えに来た夫との喧嘩など、さまざまなイメージが現れては消える。

過酷なハイクと二重写しになってくる、人生の困難と深い後悔。だからこそ、道中で出会う人々からの「ここまで来ただけで十分立派だ」「一人で歩くなんてタフだね」という言葉が、彼女の「生き直し」に送られるエールに思えてくる。

もちろん状況を甘く見ていれば、しっぺ返しは起こる。

手持ちの飲料水が底をつき、やっと見つけた小さな池で近づいてきたハンターの男二人は、明らかにそれまでの親切な男たちとは違っていた。女性が一人で行動する時に味わう不安と恐怖にシェリルも囚われる。その埋め合わせのように、辿り着いたオレゴンの町では、ライブのちらしを配っていたクラブの男性といい雰囲気に。捨てる神あれば拾う神ありの展開も人生そのものだ。

旅も終わりに近づいた土砂降りのある日、荷物の受け取り時間に遅れて来たハイカーたちへの配慮ができるまでに、シェリルは余裕を身につけている。彼女の笑顔から伺われるのは、自分中心で周囲を振り回していた過去との訣別だ。

ささやかな奇跡も起こる。一つは道中で3回ほど登場してはすぐ姿を消す狐。それはシェリルを見守り続ける母の化身と見るのが良いだろう。もう一つは、最後、雨上がりの森の中での、奇跡のように美しい一期一会。それは、長い「生き直し」の旅の果てにシェリルが受け取った、新しい人生への思いがけない贈り物だ。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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