「長年、温めていた企画です」そう話す、企画、監督を務める西坂來人さん(33)は、小学校の一時期を児童養護施設で過ごした。映画「レイルロードスイッチ RAILROAD SWITCH」で描くのは、児童養護施設で暮らした若者たちの「その後」だ。
「施設や虐待について、聞いたことはある人は多いけれど、それが実際どういうものかあまり知られていないし、彼らの“その後”についてはほとんど関心が持たれない。知られていないから問題も可視化されない。そのことがずっと気になっていました」
映画に出てくるのは、自らの生い立ちにコンプレックスを抱えながら、売れないお笑い芸人としてもがいている和樹、自分が育った施設の職員になった弘也、小さな子どもをひとりで育てながらデリヘルで働く愛。同じ児童養護施設で育った3人が大人になり、再会し、それぞれ苦悩をにじませながらも、まっすぐにぶつかっていく姿が清々しい20分の短編映画だ。
ユーチューブでウェブ映画として無料公開されて以降、全国で上映会が開かれ、西坂さんも呼ばれて児童養護施設など「社会的養護」の仕組みや現状について観客と話をする機会が増えている。なぜこの映画を作ろうと思ったのか。ご本人に話を聞いた。
──福島県の児童養護施設で一時期を過ごしたということですが、どういう経緯だったのでしょう。
もともと、福島県の鏡石町という、田んぼの広がる田舎町で育ちました。ぼくは5人兄弟の一番上で、両親と、父方の祖父母と一緒に暮らしていました。父はほとんど働かず、母や祖母に暴力をふるう人でした。
小学5年生のとき、母が子どもたちを連れて家を出たことで、両親の離婚が成立するまでの1年半ほどの間、兄弟で相馬市の児童養護施設に預けられました。
それまで、うちは貧乏だし、父は暴力をふるうし、なんでこんなについてないんだろうって思ってたんですけど、施設にはもっと壮絶な経験をしてきた子どもたちが大勢いました。排泄物を食わされたとか、殴られて育ったとか、家族で万引きして生活していたとか……。子ども心に、「世の中はこんなにもうまくいかないものなのか」とショックを覚えました。
しかも、施設という空間に集められることで、こういった子どもたちの存在は世間から見えないものとなっている。他にやり方がないのかもしれないけど、なんだかなあ、という思いを持っていました。
福島県出身の西坂來人監督。オーバーオールに帽子がトレードマーク
将来が見えない、焦りや不安
20年以上前のことなのでいまは改善されていると思いますが、その頃は中卒で施設を出ていくのがふつうで、高校に行くというと「お前、すごいな!」みたいな感じでした。そんな先輩たちを見ていて、子どもながらに、中卒じゃ給料も安いし、仕事もないし、大変だろうと思いました。
でも、自分もいつまでここにいるのか分からない。将来について先は見えないし、とても不安でした。中学校に上がる前に母に引き取られ、施設は退所しましたが、「彼らはいま、どうしているだろう」とずっと気になっていました。
※著者注:2015年度の高校進学率は、全国平均98.7%、児童養護施設児童96.0%(厚生労働省「社会的養護の現状について」2017年12月)と改善されたが、当時もいまも、高校に進学しない、しても途中でやめてしまった場合は、「学校に行っていないなら働ける(自立できる)」という理由で、施設を退所することになる。