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2018.09.06

eスポーツは「体育会系会社員」を絶滅させるのか

RomanKos / Shutterstock.com


スポーツが必ずしも「身体の運動能力を高めること」でないことを知ったのは、わたくしが業務で関わった東京オリンピック・パラリンピック招致の仕事のなかで、IOC(国際オリンピック委員会)が将来的にはポーカーを競技種目として検討していることを知り、驚愕したときからだ。

IOCは、ポーカーを「マインドスポーツ」として位置付けているという。なるほど、そうなれば従来からのスポーツは「フィジカルスポーツ」か。実際、スポーツの語源は、ラテン語の「気晴らし」からで、20世紀の作曲家エリック・サティには、「スポーツと気晴らし」という2語を並べたタイトルの小品集もある。

確かに、「気晴らし」にはリアルもデジタルも関係がない。しかし、わたくしがオリンピックに仕事で関わることでわかったのは、スポーツの上位概念としての「ゲーム」の重要性だ。オリンピック大会では、しばしば競技は英語で「Games」と表現される。アジア競技大会も、英語での正式名称は「Asian Games」だ。

ということで、これまたゲームの語源を調べてみると、ゲルマン祖語で「人々が集まる、参加する」から転じて、「勝敗を決める」という意味となり、現在に至るようだ。「人が集まって、勝敗を決める」ことなら、コンピューターゲームもポーカーやブリッジもオリンピック種目になっておかしくはない。

クーベルタン男爵は偉大な経営者

先月、仕事でIOC本部のあるスイス・ローザンヌに赴き、オリンピック・ミュジーアムを訪れる機会に恵まれた。あらためて近代オリンピックを創った19世紀生まれのフランス人貴族、ピエール・ド・クーベルタン男爵の功績をつぶさに知り、ウォルト・ディズニーに匹敵するアイデアマンであり、ビジョナリーな人物であったのだと感心した。

中世のヨーロッパの童話や民話を、現代へと変換したディズニーのように、クーベルタン男爵は、2000年以上前の古代ギリシャの祭祀、式典を復活するアイディアを閃き、それを実現させ、世の中を変えたインパクトは、元来の教育者というよりは偉大な経営者あるいは革命家かもしれない。シンボルの五輪マークも発案したデザイナーでもあった。

古代ギシリャでは、徒競走や槍投げ、レスリングなどの体育競技だけでなく、音楽競技、芸術競技なども行われており、近代オリンピックでも絵画、彫刻、文学、建築、音楽の芸術競技が行われていた期間があったことは意外と知られていないが、先ほどの「ゲーム」の本義からすると、さほどの違和感はない。

さて、「eスポーツ」や「頭脳スポーツ」が、オリンピックの正式種目としての採用が検討されているという現状をどう見るか。それは時代の要請を受けた流れなのかもしれない。

スポーツが優れた人材育成の役割も担うとするならば、興隆する「eスポーツ」や「頭脳スポーツ」には、経済活動や企業活動という「ゲーム」に、現在や近未来に必要とされる技能が映し出されているのかもしれない。

そう考えると、知的な「ゲーマー」にはほど遠い、いわゆる体力勝負の「体育会系」は、これからはいささかアウト・オブ・デートとなるのか。体力と上位下達の忠誠心だけが自己アピールとなると、長時間労働の流れとは一線を画す働き方改革やコンプライアンス遵守の昨今の風潮にはまったくそぐわない。

むしろ、「eスポーツ」や「頭脳スポーツ」などの新種のスポーツで発揮されるであろう頭脳の集中力や手指の瞬発力は、新しい時代の生産性向上にはうってつけのアセットかもしれない。

世間からこれまで「体育会系」とレッテルを貼られてきた会社で、長年、丈夫だけが取り柄の文化系アウトサイダーとして育ってきた者としては、果たして「ゲーム系」社員たちによる覇権の時代は来るのか興味は尽きない。

連載:ネーミングが世界をつくる
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文=田中宏和

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