Forbes JAPAN 編集部 編集長


野口努は自宅に招き入れてくれた。腰が低く、一見、シャイな51歳だ。彼は「オロノの写真を整理しておきました」と、パソコンを開いた。すると、2パターンの写真があることに気づいた。

まず、「Welcome to Orono」という道路脇の看板の前で、何年かおきに記念撮影をするオロノ。無邪気な幼児から仏頂面の中学生に成長している。もう一つは、長髪の白人男性と撮り続けた家族の記念写真である。


訪れる度に写真を撮ることがお決まりとなった、オロノと“ORONO”の看板

前者の看板は、アメリカ北東部のメイン州にある町の名前で、努が卒業したメイン大学の所在地だ。町名は、ネイティブアメリカンのペノブスコット族の酋長、ジェセフ・オロノに由来する。113歳まで生きた伝説の男だ。

「出生届を出した後に、娘の名前はオロノにしたと妻に教えました」と、努は言う。どうやら単独行動を好む人らしい。メイン大学に進学した理由も、「当時、日本はバブルでアメリカのどこに行っても日本人だらけだったので、日本人がいなさそうな場所を選びました」と言う。しかし、メイン大学にも日本人がいて、それが現在の妻、オロノの母である。

努は30歳で就職するまで、アメリカの複数の大学に通った。地縁血縁に縛られた窮屈な日本より、偶然の出会いにあふれ、家族のような関係になることが多いアメリカに魅了されたという。日本で日当2万5000円の解体工事で資金をためては、全米を旅した。

「10代のときにボブ・グリーンの新刊を買いに八重洲ブックセンターに行ったら、偶然、ボブ・グリーンがサイン会をやっていて、僕は前作『十七歳 1964年春』にいかに感動したかを述べて、アメリカに会いに行きますと伝えました。で、若気の至りでシカゴ・トリビューンにアポなしで行ったんですよ」

世界的ベストセラーを連発するコラムニストは新聞社内に不在で、秘書を通じて「オハイオに行ってくれ」と連絡があった。何度も本の舞台になった彼の故郷だ。「グレイハウンドバスに乗ってオハイオ州コロンバスに行くと、バス停にボブ・グリーンの本に登場するボブの親友たちとテレビカメラが待ち構えていました。『日本からやってきたファンの少年』という僕に密着した番組が放送され、町を歩くと、握手を求められたりしたんです」

本に登場するジャックの家に泊まり、以来、彼はボブの仲間たちと付き合いを続けた。青春時代の無鉄砲な話といえばそれまでだが、常軌を逸しているのは、結婚して2000年にオロノが生まれてからもずっとこの調子で、好きなことに熱狂して生き続けている点だ。

前述した白人男性との写真がそうで、彼はアメリカのギタリスト、デレク・トラックスである。サザンロックの雄、オールマン・ブラザーズバンドに在籍経験がある39歳のデレクは、自身のバンドで2004年に来日した。努は「ブルースフェスでのデレクの演奏に、雷に打たれたような衝撃を受けました」と言う。

以来、会社員のかたわらデレクを追い続け、楽屋に幼いオロノや家族を連れて出入りし、バンドが来日すると、メンバーの家族を家に泊めた。オロノの妹と弟が生まれると、デレクに「名付け親になって下さい」と頼み、「恐れ多いよ」と天才ギタリストを怖気付けさせた。

中学生のオロノが、好きなバンドと上野動物園に行くのは父親の風変わりな影響としか思えない。「永遠の中2病なんですよ、うちの父は」と、オロノは苦笑する。しかし、ただの中2病ではなく、人生哲学へと昇華させていく。例えば、子どもの教育だ。

文=藤吉雅春 写真=嶌村吉祥丸

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