僕の母は、健康食品に詳しい。こないだも実家に帰ると、怪しい茶色の液体を飲めと促された。何やら黒砂糖を溶かした液体に酵母菌や米ぬかをぶっ込み、発酵させたものだそうで、体質改善に良いらしい。恐ろしいことに、「発酵パイナップルとトニックウォーターのカクテル」はそれと同じ味がした。
新進気鋭のレストラン「kabi」は、発酵を巧みに扱ったその調理法や、新しい食文化の提案が注目を集め、海外からのお客さんも多いそうだ。襟を正して取材に向かったわけだが、最初のドリンクが想起させたまさかの母の記憶で、いきなり僕は脱力してしまった。
もちろん、その味は遙かに洗練されている。あの黒酵母の妙な後味は、逆にもう一度味わってみたくなる範囲に収められ、臭みはパイナップルの風味と調和し、芳香だけがうまく取り出されている。ノンアルコールなのに高級な日本酒のような満足感。だが背景には僕の母ちゃんが仁王立ちしているのだ。
別に貶める意図はない。こんな具合に その人なりの話題が自然と生まれるレストランなのである。「新ショウガの天ぷら、備長炭のパウダーのせ」を口に含めば、思わぬ香ばしさに驚く。
「ああ、炭火焼肉のあの風味って、 やっぱり炭なんだ」と当たり前のことを再確認。かと思えば別の人は「苦味と酸味が段階的にやってくる感じ、楽しいし、ビールに合いますね」と言うし、「たこ焼きの味じゃないですか?」と言う人もいる。同行者同士、感想の言い合うのが楽しくて、そのうち「早くこっちの、食べてみてください」なんてことになる。一皿ごとに驚きがあり、会話が生まれるのだ。
5秒で決まった店名「kabi」
「人が驚いてる顔を見るのが好きなんです」国内外の有名店で修業を積んだ経験を持つシェフの安田翔平は、真顔のままぼそりと呟いた。
「わざと外見と味とを外してみたり。何だこれ、という顔を見るのがいい。だから僕、 自分のためには一切料理は作らないんです。普段の食事も、人が作ったものを食べたいですね」
安田は少しはにかんだ。左腕にタトゥーが入っているものだから押しの強い人かと思っていたが、テーブルを挟んで向かい合うと朴訥で物静かな青年だ。
「発酵というのも、僕らの中ではそれがメインテーマではありません。僕らの思う『いいもの』を作るための調理法の一つにすぎないんです。他にも、色々な調理法を取り入れていますよ」
でも店名は「kabi」。微生物と発酵を主として打ち出しているのではないのか聞くと、そう思いますよね、と頷く。
「実は店名は5秒くらいで、何となく決めちゃったんです」
意外に、ゆるい。いい意味で肩に力が入っていない、安田の料理の作り方について話を聞いてみる。
「見た目からは味が想像できないものを作ろうとしています。たとえば食材にオイルをかけて、パウダーを振る。食べると最初にパウダーが舌に当たって、次に食材の食感があり、噛むとオイルが染み出す。そういう段階を4つか5つ作ることで、新しい感覚が生み出せるんです」
たとえば、鮒寿司と純米富士酢を組み合わせて、大根の漬物を混ぜてヨーグルトパウダーをかける、といったもの。でも、食べてみると全然奇をてらっている感じはしないし、どこか懐かしい味になっている。どうやって発想しているのか。