意外に低かったアレサ・フランクリンの収入、飛行機嫌いも原因

アレサ・フランクリン(Photo by Dimitrios Kambouris/Getty Images)

ソウルミュージックの女王と呼ばれたアレサ・フランクリンが8月16日、亡くなった。76歳だった。米国のツイッターでは彼女の名がトレンドの上位に浮上し、「クイーン・オブ・ソウル」の称号がそれに続いた。

バラク・オバマは「彼女の声に私たちは、この国の歴史を感じとっていた」と述べた。ウーピー・ゴールドバーグは「彼女は今、神のもとに旅立った」と話した。

フランクリンは音楽業界に多大な業績を残した。18のグラミー賞を受賞し、ビルボードの「Hot 100」には73曲を送り込んだ。しかし、彼女が得ていた金銭的報酬は意外に低いものだった。フランクリンがフォーブスの「最も稼ぐ著名人ランキング」に登場した経歴はなく、過去数十年間の年間収入は200万ドル以下だったと推定される。

これは一般の人々にすれば多大な額に思えるが、彼女と同年代のバーブラ・ストライサンド(資産額4億ドル)や、もっと年下のマドンナ(同5億9000万ドル)、ビヨンセ(同3億5500万ドル)らの稼ぎと比較すると、見劣りする感は否めない。

収入の差を生んだ最大の原因はツアー活動だ。高収入の女性シンガーらが1公演で百万ドルに及ぶ売上を生むのに対し、業界誌「Pollstar」のデータでは、フランクリンの過去36カ月間における1公演あたりの平均売上は26万5068ドル(約2900万円)だった。

彼女はアリーナやスタジアムではなく中規模のシアターでプレイし、過去20年間で毎年平均10公演を行なっていた(報道によると、彼女は報酬をキャッシュで受け取ることを好んだ)。

公演数が少なかった背景には、ツアーの移動手段が限定されていたことがあげられる。フランクリンは1983年のツアーで飛行機恐怖症にかかり、その後はバスで移動可能な北米のみで公演活動を行なっていた。

代表曲の「リスペクト」や「ナチュラル・ウーマン」で知られるフランクリンのアルバムの売上枚数は、ニールセンが1990年代初期にデータの計測を開始して以来、わずか880万枚であり、これは現代ではドレイクが1年で販売するユニット数(ストリーミングを含む)以下だ。

フランクリンは音楽業界で不朽の名声を築いた。しかし、彼女がマイケル・ジャクソンのように「死後も稼ぎ続ける著名人」のリストに加わることはなさそうだ。ジャクソンの場合は生前に約20億ドルを稼ぎ、死後も彼が保有していた「ソニー/ATVミュージック・パブリッシング」の株式売却などにより、2016年に8億ドル(約892億円)の年収を記録していた。

編集=上田裕資

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