前回、土屋尚史との対談相手だったOnedotの坪田朋もそのひとりだ。その一方で、前回の対談でも話題にあがった通り、単にデザイナーをCXOとして雇ったからといって、すぐに企業がデザインの力を経営に最大限活かせるようになるわけではない。
デザイナーの力を最大限活かすために、企業はどうあるべきなのか──第2回の対談相手は元日産自動車の中村史郎。1999年に入社以降、デザイン本部長常務執行役員として日産全車のデザイン決定に参画。そして2006年、日本人初のCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)専務執行役員に就任し、2017年3月まで17年間、日産自動車のデザインのトップとして働いた。
カルロス・ゴーンの右腕として、マーチやキューブなどのヒット車を生み出してきた中村はデザイナー出身者として、どのように経営に携わっていたのだろうか。話を伺った。
「デザイナーを辞めろ」と言われても生きていけるようになろうとしていた
土屋:最近はCXO職を設け、デザイナー出身の人が経営の意思決定プロセスに関わることが多くなってきました。しかし、前回対談した坪田朋さんからは、デザイナー出身者がいきなり経営の意思決定プロセス加わっても、うまく機能しないのではないか、という指摘がありました。
そこでデザイン本部長を務めた後、2006年からCCOとして働かれていた中村さんに、デザイナーがマネジメント層で働く際に意識することを伺いたいと思ったんです。CCOとしてどのように仕事をされてきたのか、またデザインに詳しくない人とどのように意思の疎通を図ったのかなどをお伺いできればと思います。
中村:正直に言って、デザインに詳しくない役員たちの中で働くことに疎外感を感じたことはほとんどありませんでしたね。私は大阪の北野高校という進学校に通っていました。企業の役員や医者を目指している学生がほとんどで、たまに建築家や絵描きになる人はいるものの、カーデザイナーを目指して私立の美術大学に進学しようとしていた私は、かなり異端だったはずです。
高校の頃、僕の周囲にいたのはスポーツや勉強を最優先に考える人たち。デザインに関心がない人たちと話すのが当たり前の環境でした。そのため、美術に関心のある人たちしかいない武蔵野美術大学の環境が、僕にとっては不自然で(笑)。
武蔵野美術大学に通っていた頃も、ただただデザインに没頭するのではなく、文化的経済など色々な分野に関心を持っていました。