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2015.03.03 10:00

「片田舎の投資家」がウォール街を震撼させた日




アポロ11号が月面着陸に成功し、ウッドストックでロックフェスティバルが開かれた1969年。「ウォール街を打ち負かした男」が、Forbes11月1日号に掲載された。
ネブラスカ州オマハという片田舎で暮らす当時39歳のバフェットに注目した、歴史的なインタビュー・リポートである。


ウォーレン・バフェットはワシントンとニューヨークに住んだことがあり、コロンビア大学のビジネススクールにも通っていた。だが、そこに長く滞在したことはない。必ず生まれ故郷のネブラスカ州オマハに戻ったのだ。過去12年間、全米でも屈指の運用成績を挙げてきた投資家としては異色だろう。
「全米屈指」の具体的な数字を出そう。1957年に「バフェット・パートナーシップ」に1万ドル投資したとすると、それがいま(注:1969年)では26万ドルになっている。同パートナーシップの運用額は年利31%の複利で成長し、最近1億ドルの大台に達した。この12年間で損益がマイナスになった年は一度もない。ダウ平均は1962年に7%、1966年に15%下落したが、そんな年にも彼のファンドはそれぞれ13%と20%資産を増やしていた。
「はは~ん、高騰銘柄に乗るんだな」と思ったなら、大きな間違いだ。

 バフェットはファンダメンタルズ派の投資原理を堅持しながら、これだけの運用成績を挙げてきた。同じ心づもりで60年代前半に投資を始めた若い投資家の多くは、初心を忘れて高騰銘柄を追いまわし、いまでは惨めな運用成績をさらしている。だが、バフェットはぶれなかった。
彼は、企業のコンセプトや個別株のストーリーなど語らない。決算報告をぱっと見て売買することもしないし、小さな無名の会社の株を買うこともない。ヘッジファンドと違って、空売りを仕掛けることもない。
バフェット自身は単純な人間とはいえないが、彼の好みは単純だ。まわりくどい理由や高尚な理由からではなく、単純で基礎的な理由から株を買う。彼の持ち株は、ある意味、オマハという町に似ているかもしれない。
長年、彼の成功を支えてきたのは、ごくありふれた企業の株式だ。バフェットはコングロマリットの株は買わない。道理にかなっていないと思うからだ。テクノロジー系の企業も同様。「理解できないのでね。私の流儀には合わない」と言い、こんな逸話を披露する。
「コントロール・データのウィリアム・ノリスとは婚姻を通じて親族になった。だから1株16セントで株を買うこともできたんだ(現在の株価は150ドル)。しかし、こう自問した。コンピューターの会社がこれ以上必要か? と」

 高騰銘柄やコングロマリットに背を向け、チャートや抵抗線やトレンドラインを使って市場を分析するアプローチをも拒絶する。彼は、生粋のファンダメンタルズ派なのだ。
「私の15%はフィル・フィッシャーで、85%はベンジャミン・グレアムだ」と、バフェットは語る。
フィッシャーとグレアムはどちらもファンダメンタルズ派の重鎮だ。フィッシャーは、主に企業の製品や経営者、あるいは取引業者との関係に関心を向ける。
グレアムはすでに一線を退いているが、教科書的な『証券分析』や、一般向けの『賢明なる投資家』などの著作で知られ、企業の資産や売り上げなどの基本的な統計数値と、株価との関係を分析する。
言うまでもなく、彼らの手法は目新しい高騰銘柄を見つけるのにはさほど向いていない。なぜなら目新しい高騰銘柄は、(定義上、当然だが)分析すべきファンダメンタルズの蓄積に乏しいからである。
バフェットはコロンビア大学でグレアムに師事し、そののち、グレアム・ニューマン社で働いた。その前に、まずは彼のバックグラウンドから書くとしよう。

 彼は1930年にオマハで生まれ、1942年に首都ワシントンに移った。いまは亡き父親が共和党の下院議員になったためだ。それから1952年に父親が政界を引退するまで、おおむねそこで暮らした。
故郷に戻ると、バフェットはネブラスカ大学で学び、株式市場について熟考した。
「私は11歳のころから、株式市場に関心をもっていたんだ。当時は、父が仲買人をしていたハリス・アパム社で、株価ボードに書き込みをしたりしたものさ。私はマギー流のチャート分析など、あらゆることを試した。やがてグレアムの『証券分析』を読み、光を見たような気がしたね」。
その光に導かれて、バフェットは東部に戻り、コロンビア大学のビジネススクールでグレアムから学んだ。その後はオマハで2年間、証券を売っていた。
25歳だった1954年、彼はバフェット・パートナーシップを創設し、7人の有限責任のパートナーから10万ドルの出資金を集めた(彼は唯一のゼネラルパートナーだった)。パートナーに出資金の6%分の配当を出した後、バフェットが残る利益の25%を取るという取り決めはいまも有効だ。おかげで彼は非常に裕福になった。
バフェットは、グレアムの投資原理を極めて体系的に実践してきた。
『賢明なる投資家』の中で、グレアムはこう述べている。
〈投資は最もビジネスライクであるとき、最も賢明なものとなる〉。
言い換えるなら、感情や期待や一時の流行に惑わされてはならないということだ。これは、バフェットが最も重視する信条となっている。
「私が株を買うときは」と、バフェットは言う。「その企業を丸ごと買収するつもりで検討するんだ。街の商店を1軒買うような具合にね。店を買うなら、その店のすべてを知ろうとするだろう。たとえば、1966年の前半にウォルト・ディズニー株がいくらだったか見てみたまえ。1株53ドルで、特に割安だとは感じない。しかし掛け算をすれば、8,000万ドルで会社をそっくり買収できたということだ。『白雪姫』や減価償却の済んだいくつものアニメ作品が、その金額で手に入ったんだよ。さらにディズニーランドも手中にできたし、天才ウォルト・ディズニーともパートナーになれた」。

師匠のグレアム:健全な投資の秘訣をあえて3語でまとめよう。マージン・オブ・セーフティ(安全なマージン)だ。

弟子のバフェット:私は1ドル(の価値のある株)を60セントで買おうと努めている。1ドルになると思えるなら、いつそうなるかはあまり気に病まない。その格好の実例がブリティッシュ・コロンビア電力だ。1962年に同社が公営化される過程では、誰もがこう考えた。州政府は少なくともXドル払うだろうから、Xマイナス(たとえば)5ドルなら買いだと。ふたを開けてみれば、州政府はもっと高い金額を払った。

グレアム:健全な株式ポートフォリオをもつ投資家は、大きく下落しても案じるべきではないし、大きく上昇しても浮かれるべきではない。

バフェット:そううつ病のパートナーと食料雑貨店を共同経営していると思いたまえ。パートナーはある日、自分の持ち分を1ドルで売ると言ったかと思えば、次の日には太陽が照っているからなんて理解できない理由で、いくら出しても売ろうとしない。市場というのはそういうものだ。それゆえに、市場に言われるままに売り買いしてはならない。売り買いは、自分がしたいときにしなければならない。

 バフェットの投資は、ほとんどすべてがこのカテゴリーに入る。というのも、彼は株価が下がっているときに買い、上がっているときに売るからだ。
フィル・フィッシャーではなく、ベンジャミン・グレアムの流儀に従い、バフェットは経営者の評価については語らない。せいぜいが信頼できるかどうかというだけだ。
アメリカン・エキスプレスへの投資は、彼の考え方を示す好例だ。バフェットは同社が実在しないサラダ油を担保にしたスキャンダル事件に巻き込まれて、大損害を被ったあとに、その株を買った。購入に先立ち、彼は自らリサーチをした。たとえばライバル社の人間と話したり、オマハのステーキハウスでレジを見張り、客がいままで通りにアメックス・カードを使用しているかをチェックしたのだ。
その結果、バフェットは、アメリカン・エキスプレスがトラベラーズチェックのビジネスで揺るぎない地位を占めていること、そしてクレジットカードのビジネスでも急速に同じような地位を確保しつつあることを確信した。
「わかるかね」と、バフェットは言う。「アメリカン・エキスプレスのネームバリューは世界でも指折りだ。経営陣がひどくても、必ず利益を上げられる。アメリカン・エキスプレスはトラベラーズチェック市場では後発で、全米最大級の銀行2行と競わなければならなかった。だが短期間で80%以上のシェアを押さえ、以来その地位を脅かされていないんだよ」。
(以下略、)

フォーブス編集部

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