この変化には、いくつかの側面がある。まず、これは自動運転車が主流になるまでの数年間における暫定的な問題だ。これはすでに米国の一部の都市で始まっている。運転手自体の存在をなくすことで、都市部における人と物の輸送は人間の行う活動ではなくなり、問題が一つ解決する。しかし、自動運転が主流になったとしても、人々にマイカーを持たないようどうやって説得するかという問題が残る。
ニューヨーク市など米国の大半の都市における真の問題は、配車サービスの車両が多過ぎるため認可数の制限が必要なことではなく、マイカー使用のデメリットが十分に存在しないことにある。市内の大部分を公共交通機関や業務用車両、自転車、スクーター以外は通行禁止とし、マイカー使用を可能な限り不便にする厳格な措置を取る必要性に市議会が気付かなければ、この状況は改善しない。
都市の交通ニーズの適切なバランスを見出すは簡単なことではない。しかし、たった一つの要素だけを規制し、その他の要素の影響を考慮せずに問題を解決しようとしても答えは出ない。都市部での交通渋滞が消えるのは、大半の都市設計が自動車を想定したものであることを人々が理解したときだ。私たちは今こそ、都市スペースを自動車以外の目的に使用するため再設計をしなければならない。
そのための施策としては、路上駐車スペースを全て、あるいはほとんど禁止したり、自動車以外の目的にスペースを割り当てたり、自動車を製品としてではなくサービスとして考えるようにしたり、公共交通機関を改善したりすることが考えられる。変化の鍵となるのは自動化だ。自動化は経済的な節約になるため、最終的に普及するだろう。
ニューヨーク市で1年間にわたり配車サービス車両の新規認可を凍結しても、同市が長年の間欠いていた交通のバランスを実現する解決策にはならない。議論すべきはこうした認可の数ではなく、都市とその移動方法を根本から再考する必要性を受け入れることだ。そのためには、数十年かけて確立された習慣やパターン、モデルを変革することが必要となる。