「フレンズ」の世界では、友人たちは毎日のように顔を合わせ、互いに支え合っている。大きなマグカップを片手に大きなソファでくつろぎ、自由な時間を満喫している。人々は限りなく親切で、売れない役者やウェイトレスが借金地獄に陥ることなくマンハッタンのアパートに暮らしている。2018年の現実と比べると、この世界は理想を超えて妄想の域である。
現代アメリカのリアルを描けるか
変わったのは社会だけではない。放送終了から10数年経ち、主人公たちは若者から中年になっている。10代の子どもとともに郊外に住み、ローンを抱える彼らは、集まって何を話すのだろうか? 関節の痛みか、それとも子どもがゲームばかりしていることへの不満?
また、「フレンズ」はシーズンを重ねるにつれ、初期の勢いが弱まっていったことも事実である。レイチェルとロスが何度目かの愛を確かめ合う最終回に向けて、結婚や出産、とってつけたような三角関係などのモチーフが繰り返され、主人公たちがとりとめなくおしゃべりをする愉快な場面は減っていった。
「フレンズ」が現代のテレビドラマに与えた影響は計り知れない。これといった目的のない若者たちの日常を描く手法は、「ガールズ」「ラブ」「マスター・オブ・ゼロ」といった作品に受け継がれている。ただし、それらの作品には「フレンズ」になかったシニシズムがあり、社会の複雑さが反映されている。
「フレンズ」が本当に復活する場合、ドラマのトーンが大幅に変わることはないだろう。「フレンズ」の続編である以上、あの大げさなラフトラック(録音された笑い声)や、昼間の番組さながらの健全さは必要だ。視聴者は懐かしく思うと同時に、社会の変化を痛感して気が滅入るかもしれない。あのカフェのソファの座り心地は、昔のようには良くないのだ。