ポルトガル、次なるファッション大国に?

今年で50回目を迎えたモダ・リスボア( Estrop / gettyimages)

ポルトガルでは今、国内ファッション業界が世界の大舞台に加わるための材料が、これまでにないほどそろっている。

ファッション誌「ヴォーグ」ポルトガル版は昨年10月にリニューアルし、商業的要素よりも芸術的自由に重きを置いていることを示唆するビジュアルに転換。また同国は、ブランド品通販サイト「ファーフェッチ」の創業者ジョゼ・ネベスや、モデル界の売れっ子たちを輩出してきた。国内の製造業者は、世界中の高級アパレル企業からの需要を担っている。

それでも、ポルトガル国内のファッションデザイナーたちはいまだに、欧州の有名デザイナーの仲間入りができないでいる。そんな中にいるのが、デザイナーのエドゥアルダ・アボンダンザだ。彼女は1991年、リスボンのファッションウィーク「モダ・リスボア(Moda Lisboa)」を創設した。年2回開催されるこのイベントは、今年の第1四半期で50回目を迎えた。

アボンダンザは20年以上のキャリアを通じ、ヴィクトリアズ・シークレットの現“エンジェル”であるサラ・サンパイオや、カブラル兄弟、双子のサンパイオ兄弟、パコラバンヌの香水「ピュアXS」の顔であるフランシスコ・エンリケスといったポルトガル人モデルの台頭を見てきた。


VOGUEポルトガルのパーティに出席したモデルのフランシスコ・エンリケス(左、Photo by Getty Images)

ブラジル・サンパウロのファッションウィークは、世界ファッション界における同国の評価を向上させるべく、同国出身の大物モデルを起用してきた。これは、アボンダンザが熟知する戦略でもある。

「ポルトガル人の有名モデルは、(世界中に)ソーシャルメディアのフォロワーを抱えている。ポルトガル人デザイナーにとって、最高のコミュニケーションツールだ」(アボンダンザ)

「こうした有名モデルは複雑なスケジュールを抱えているので、簡単には帰国してもらえない。でも、だからといって絶対に帰国しないわけではない。モデルたちはモダ・リスボアと特別な関係を築いているし、帰国中は家族や友人と過ごせる。そのため有名モデルは機会があれば必ず、自分のキャリアがスタートした場所であるリスボンに戻ってくる」

アボンダンザいわく、ポルトガルのデザイナーがロンドンやパリ、ミラノのファッションウィークで活躍するデザイナーと同様の評価を受けないのは、創造性の欠如が原因ではない。世界進出に必要なのは、コミュニケーションへの投資強化だという。

「ポルトガル市場はとても小さいため、国内ブランドは海外市場に焦点を合わせた強力なコミュニケーション戦略を練らなければならない。そうすれば、成長のためのさらなる機会が生まれ、海外で自分たちのデザインを披露し、販売できるようになる」(アボンダンザ)

近年、国際ファッションの重要市場でより積極的に活動するようになったポルトガル人デザイナーの一人に、ミゲル・ビエイラがいる。彼は過去2、3シーズンの間で、ミラノファッションウィークの常連になりつつある。また、同じくデザイナーのパトリック・ジ・パドゥアは先日、ベルリンファッションウィークの一環としてドイツで最新コレクションを披露した。
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編集=遠藤宗生

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