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無能だった私を変えてくれた凄い人たち

太田恵美さん(左)と筆者。いつも仕事への情熱の炎が燃え盛っている太田さんとお会いすると、背筋がしゃんと伸びます。この日も笑ったのは、この撮影の瞬間だけです。

このコラムでは、私の仕事の仕方、向き合い方を根本から変えてくれた恩人を紹介します。業種は違っても、何かを極めた一流の人たちの言動は、きっと、皆さんの仕事に役立つこともあると思います。

4人目は、日本を代表するコピーライターの太田恵美さんです。

最近では、ONE OK ROCKを起用したHONDAのブランド広告を手がけ、クルマ離れの若者だけではなく、世代を超えた人々を振り向かせています。JR東海の「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンでは、名コピーを20年以上も書き続けている広告業界の顔であり、大先輩です。

私が電通の新人だった時、「手書き事件」が起きました(私がそう呼んでいるだけですが…)。

当時は、配属されたクリエイティブ局の全員にデスクトップ型のMacが導入されたばかりで、書類といえばワープロ打ちが全盛で、手書きもまだ市民権を得ている時代でした。

ある日、局長から新人全員に課題が出され、2〜3ページの文章を書いて提出することになりました。

クリエイティブ局の伝統で、私以外の同期は、先輩コピーライターの下に付いてコピーライター見習いとしてキャリアを開始。ほとんどの時間を会社にいられたので、Macを使って課題を書き上げ、プリンター出力したものを提出しました。

私は、所属部長の意向で、最初から先輩CMプランナーの下に付いていたため、撮影、編集、音楽録音などに同行するので外出が多く、会社にはあまりいられませんでした。一旦は、私もMacで書き上げて出力したものの、提出の前夜にそれを自宅で読み返して書き直すことにしました。

ただし、当時は今とは違って、一般家庭に通信手段が整っていませんでした。ノートブックPCを自宅に持っている人もほとんどいませんでした。Macで書き直すのであれば、作業は会社でするしかありません。

私は、手書きを選びました。コピーライターの先輩たちが原稿用紙に手書きでコピー案を書いてプレゼンしていたので、そういう職人的な姿への憧れもあったと思います。しかし、何よりも、クリエイティブ局の課題でしたから、より良い文章を練って提出すべきだという考えが強くあったからです。

しかし、これが完全に裏目に出ました。

書いた内容が稚拙だったこともあったのでしょうが、局長から私の上司の部長が呼び出され、「なぜ、Macが支給されているのに、キレイな文書で提出しないのか。松尾一人が手抜きをして、手書きだった」と注意を受けてしまいました。

ちょうど人事異動を検討する時期で、他局への移動候補者の一人として私の名前が挙がりました。中学生の頃から広告の企画制作の仕事がしたくて、超氷河期だった就活をくぐり抜け、社内のクリエイティブ局の選抜試験にも受かって、やっと希望の仕事に就けたのに、何もしないまま転局するなんて……。

文=松尾卓哉

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