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ただ横たわっているだけの死体を「怖い」と感じるのはなぜか。それは、目の前の他人の死体に「自分の死」への恐怖が見え隠れするからだ。


医師という職業柄、死体を目にする機会がたびたびある。その際には、心のどこかに恐怖の感情が湧き上がってくるのを感じる。死んだ人間は生き返らないし、死体に襲われることもないはずなのに、どうしても怖いのだ。

しかも、その恐怖心は、まだ私が学生だった20代前半のときから、法医学を学んでいた時期を含め、数十年経った現在に至るまで、ずっと変わっていない。

警察官も、医師と同じように死体を見る機会が多い職業だ。事件や事故で亡くなった人を日常的に目にする彼らに「死体を見るのは怖いか」と聞いてみた。すると、「もちろん怖い。考えたくもない」と言う。なぜ怖いのかと尋ねてみたら、「理由などない。死んだ人間を前にしたら、みな理屈なしに怖くなるのが当たり前だろう」と返ってきた。

人はなぜ、死体を怖がるのか。仕事で触れる機会の多い私たちでさえ、怖さに慣れないのはなぜか。その理由が知りたくて、友人の禅僧を訪ねた。彼も私たちと同じく、葬儀で年中死体に接しているが、やはり遺体と対面した日は、普段の何倍も疲れるそうだ。死体を見るのは怖いし、対面するときにはいつも緊張するという。

さらに禅僧は、私たちが死体を怖いと感じる理由について、無意識に「自分の死を遠ざけたい」「自分の死の恐怖と対峙したくない」という気持ちの表れではないかと教えてくれた。恐怖心は、目の前に横たわる死体そのものに対してではなく、遺体から自分の死を連想することで生まれるもの。怖がる理由は、常に自分の心の中にあるのだと。死が怖くなければ、死体を見ても、幽霊を見ても、怖いと感じることはないのだ。

「修行を積んで、死への恐怖を乗り越えた人は、生々しい死体を見ても、何も感じないだろう」と、彼が付け加えたこの言葉にも、私は深く納得した。死んですぐの死体は、自分の死を連想させる鎖が太いから怖い。だが、その死体が5000年前の干からびたミイラだったなら、自分と違いすぎて死を連想しにくいから怖くないのだ。

私は人一倍、病気の痛みや苦しみ、死ぬことが怖くて医者になった。医者になったら、その怖さが少しは軽減するかと思ったが、残念ながらそうでもなかった。当たり前のことだが、医学部では、死んだ後のことは教えてくれない。体や病気のメカニズムと治療法は学んだけれど、その先に待つ全員に平等に訪れる死については、まったくわからないままだった。多くの知識を身につけても、死の恐怖を乗り越えることはできなかった。

世の中には、死と同じく、たくさんの未知の怖いことが転がっている。どうしたらそれを克服できるのか、さらに禅僧に聞いてみた。返ってきたのは、「自分の目を鏡で何度も見つめろ」という言葉。己を知れば、怖いものはなくなるということなのか。怖がりの私には難しいと思ったが、自分を変えるヒントに、少し近づいた気がした。


さくらい・りゅうせい◎1965年、奈良市生まれ。国立佐賀医科大学を卒業。聖マリアンナ医科大学の内科講師のほか、世界各地で診療。著書に『病気にならない生き方・考え方』(PHP文庫)。

イラストレーション=ichiraku / 岡村亮太

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