異性愛者と変わらない、同性愛者カップルの危機と親子関係

(左から)ニック役 アネット・ベニング、ポール役 マーク・ラファロ、ジュールズ役 ジュリアン・ムーア(Duffy-Marie Arnoult / gettyimages)


監督が当事者なだけに、なるほどなというシーンもある。二人がベッドで観るのが、ゲイ・ポルノなのだ。レズビアンのポルノは異性愛者が演じていてフェイクだからシラケる、しかしゲイ・ポルノに出ている俳優はガチだから迫真性がある、というのが選択の理由。

寝室にあるそのポルノを、息子のレイザーが悪友と観たことがわかって、「レイザーはゲイかもしれない」「聞いた方がいいかしら」などと二人のママが真剣に話し合うところも、リアリティを感じさせる。

「The kids are all right」

子どもたちがポールを気に入っているのを知った二人は、彼を食事に招く。その席で、ワイン片手にやや上から目線で、次々と遠慮のない質問を浴びせるのはニック。まるで「この家の主人として訊いてます」といった構えだ。その“尋問”に戸惑いつつも、微笑みながら答えるポール。それに対しニックは、患者として出会ったというジュールスとの馴れ初めを話し、のろけてみせたりする。

この時点で、勘の鋭い彼女は近い将来、ポールが家族の心の中にどんどん食い込んできて、やがて家庭の危機をもたらすことを予感していたかもしれない。

口煩く厳格なニックにちょっとうんざりしているジョニとレイザーは、それぞれ単独でポールに会いに行くようになる。年上の男がいない家庭で育っているだけに、二人にとってポールの存在はミステリアスで新鮮だ。

だが、ポールは血縁的には父であっても、実質の父ではないし、親的なメンタリティもまったく持ち合わせていない。農園に遊びに来たジョニを、夜も更けてからバイクで家まで送ったポールは、娘を心配していたニックの怒りを買い弁解するも、「18年間、子育てをしてから言いなさい」と返される。

わりと緩いルールで生きているヘテロ男性のポールと、模範的な親として振る舞うレズビアンのニックという対比が興味深い。婚姻関係にあるレズビアンのカップルが、伝統的と言ってもいいような夫婦や親子のかたちをなぞっているように見える。「(親が同性愛者でも)The Kids Are All Right」だと世間に向って言うためには、従来の夫婦や家庭の枠組みをきっちり踏襲できることを示さねば‥‥という保守的な観念が裏にあるのかもしれない。

“普通の家庭”と変わらない?

ポールの出現以降、苛立つニックと口論しがちになっていたジュールズは、ポールから自宅の造園をしてほしいと依頼されて通ううち、肉体関係を結んでしまう。元々は異性愛者であったらしい彼女が、ポールの性的魅力に負けてセックスを貪るシーンには、どことなくおかしみが漂っている。

「私が一人で家族を養っている」と胸を張るニックに対して、「それで支配できるから」と皮肉を返すジュールズのやりとりは、仕事をもつ夫と専業主婦である妻のありがちな喧嘩のパターンにそっくりだ。ジュールズとポールの密会も、夫婦関係に行き詰まった妻の浮気そのもの。

一方のポールも、ひょんなことから精子提供先の家族と知り合い、子どもたちは可愛いし「奥さん」は素敵だし、家族っていいなぁと羨ましくなった延長線上で気ままに行動していて、基本的にはいい人だけど責任感のない男の典型的なパターンに陥っている。

同性愛者のパートナーで作る家族、親と子の関係。そこに訪れる危機も、傷を修復していこうとする努力も、親密圏の人間関係である以上は異性愛者家庭と変わらないことを、この作品は随所に笑いを散りばめながら伝えている。

修羅場をやっとくぐり抜けた時、一回り大人になったジョニとレイザーの、ママたちを見守る視線が暖かい。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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