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2018.08.03 12:00

CAMPFIRE 家入一真「元引きこもり、起業が生きる手段だった」

起業家 家入一真

起業家 家入一真

レンタルサーバーからクラウドファンディングサイト、ウェブメディアにシェアハウスまで。起業家・家入一真が手がけてきたプロジェクトは多岐にわたるが、その活動の根底には「引きこもりだった頃の自分」がいるのだと彼は言う。

8月22日に発表される「30 UNDER 30 JAPAN」ソーシャル・アントレプレナー部門のアドバイザリーボードを務めてくれた家入に、編集部は今回、「UNDER 30」だった頃の話を訊いてみた。ぽつりぽつりと、彼は昔を思い出しながら、はじめての起業と上京の思い出、「居場所」をつくり続けてきたこと、そして、いまのUNDER 30たちへのメッセージを語ってくれた。

引きこもりから引きこもりへ

僕は、中学二年生のときにいじめが原因で学校に行けなくなってしまって、ほぼ登校拒否のような状態で引きこもりになってしまいました。高校には入学したものの、ほとんど行くことができずすぐに辞めてしまいました。

家にこもっている間は、もともと絵を描くのが好きだったので油絵を描いたり、中古のパソコンでプログラミングをしていましたね。そのうちに、もっとちゃんと絵を学びたいと思うようになり、大学入学資格検定をとって東京藝術大学に行こうと考えました。でも、家はすごく貧しくて学費は出せないと親に言われて..。

新聞奨学生制度に応募をして、住み込みで新聞を配りながら学費を稼ぐ日々を送っていたある日、父親が事故に遭って働けない体になってしまったんです。僕が長男だったこともあり、自分が働かないと家族が生活できなくなってしまった。大学進学は諦めざるを得なくなりました。

福岡の片田舎のデザイン会社のそのまた下請けのような会社に入れたのですが、ずっと引きこもってきた人間にとって、定時で出社したり、打ち合わせに参加したりするのは苦痛でしょうがない。やがて朝時間通りに出勤できなくなり、最終的には足が一歩も動かなくなってしまった。結局、中学生の頃と同じ状況になってしまったんです。

起業だけが「生きる手段」だった

「僕は就職して仕事をすることができない」ということを強く実感しました。とはいえ生きていかなければいけない。そんなときに思いついたのがレンタルサーバーでした。

もともと自分の描いた絵をアップロードする場所としてホームページはつくっていたんです。その絵に対して見ず知らずの人がコメントしてくれたり、海外の人が英語でメッセージを残してくれたりして、ホームページは「新しい表現の場」になると思ったんですね。

ただ、ネックになるのはサーバー代。当時、個人向けのサーバーレンタル費用は月2000〜3000円で、若くて稼ぎのない人間には高かったんです。そこでペーパーボーイという会社を立ち上げてつくったのが、「ロリポップ」という格安のレンタルサーバーでした。

当時は起業したかったわけではなく、壮大な野望をもっていたわけでもありません。「生きる手段」としての起業だったわけです。それでも人が1人増え、2人増え。後ろ向きだった起業でも、会社がだんだんと「居場所」になっていった感覚はすごくあって。

ずっと「自分は本当にダメな人間だ」と思って生きてきましたが、自分で起業して居場所をつくって、スタッフやお客さんが増えていくなかで、だんだんと見える景色が変わっていった──そんなことを実感しながら20代前半は会社を経営していました。
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文=辻広郁 写真=小田駿一

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