ビジネス

2018.08.03 12:00

CAMPFIRE 家入一真「元引きこもり、起業が生きる手段だった」


コーラとレモン

突然3社からM&Aのオファーが来たのが、24歳のときでした。熊谷正寿さんのGMO、堀江貴文さんのオン・ザ・エッジ、それと西川潔さんのネットエイジです。

当時はM&Aが何かもわからなからなければインターネット業界のプレイヤーも知らなかったし、僕自身もスタートアップというよりは一中小企業をやっているつもりでした。でも、調べてみたらどうやらみんな有名な人らしい。なかなか会える人じゃないと思い、会うだけ会ってからお断りしようと思い東京に行きました。

それとは別の日に熊谷さんとお会いさせていただいて、最終的には熊谷さんの人柄に惚れ込んでしまいGMOに仲間入りすることになります。最初にお会いしたときに、GMOのオフィスが入っているセルリアンタワーの上の階に部屋を用意していただいて泊まったんですけど、冷蔵庫を開けたらコーラがぎっしり詰まっていて。

当時僕はお酒が一滴も飲めなかったんですが、なぜだかそのことを知っていて、お酒ではなくコーラと大量のカットレモンが入っていたんです。社会を知らない若者にとっては最高のおもてなしを受けた気持ちになって、そうした熊谷さんのホスピタリティや真摯なところが好きになってしまったのです。

熊谷さんは僕にとっていろいろな意味で先生であり、先輩であり、憧れの対象でした。10代で入った会社はすべて逃げるように辞めているし、20代前半で起業してからずっと自己流で経営をしてきたので、周りには先輩も同世代の起業家もいませんでした。だから、熊谷さんの存在はとても大きかった。起業家とはどういうものか、お酒の飲み方やお金の使い方に至るまで、すべてを教えてもらいましたね。

「失敗」に意味をつくるということ

それと同時に、当時は「熊谷さんみたいにならなきゃいけない」という焦りもありました。だから東京に来て最初にやったことは、彼を見習って毎日スーツを着ること。それから会社のなかではもともと「家入さん」と呼ばれていたんですけど、GMOみたいに役職呼称を徹底して、気まずいながらも「社長」と呼んでもらうようにしたんです。

そうやって背伸びして熊谷さんに近付こうとしたけれど、途中で疲れてしまった。いま思えば、僕は熊谷さんにはなれないし、なる必要もなかった。僕は僕なりのスタイルで経営をすればよかったのに、その頃は「経営者はこうあるべき」というイメージに固執していたところがあったように思います。


 paperboy&co.のJASDAQ 上場記者会見の様子。
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文=辻広郁 写真=小田駿一

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