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2018.08.06

冷戦からサイバー戦争へ 元CIA幹部が語る「今そこにある脅威」

世界の現代史を諜報側から見てきた"生き証人"に独占インタビュー


「私がCIAに入局したのは1981年。冷戦の真っ只中で、対ソビエトの活動に従事した。東欧諸国、アフリカなど様々な地域にも行ったね」

彼はインタビューの冒頭、自ら自身の来歴について話し始めた。81年は米国でロナルド・レーガンが大統領に就任した年でもある。秘密活動に従事する諜報員らの名前を公表してはならないとした「情報部員身分保護法」が成立するなど、資本主義陣営と社会主義陣営の諜報活動が非常に活発だった時代だ。

CIAをめぐっては、数々のスキャンダルも発覚した。もっとも有名なのはCIA長官の辞任につながった「イラン・コントラ事件」で、また85年にはCIA職員がソ連のスパイだったことが明らかになり逮捕されている。

「ソビエトは、長年西側陣営に対する諜報活動を行ってきた歴史があり、世界でもっともプロフェッショナルな諜報機関を持っていた。アメリカ以外の国という意味ではね。対峙する相手としては、非常に困難だった」とケルトンは言う。

彼が赴任していた頃、東欧は激動の時代を迎えていた。85年にゴルバチョフがソ連の共産党書記長に就任。ペレストロイカ(改革)によって、ポーランドやハンガリーでは共産党の一党独裁体制に対する批判が高まり、民主化の動きが活発になっていた。ソ連の統治下にあったバルト3国でも、民族独立の抗議活動が始まるなど、冷戦体制が足元から揺らぎ始めていた。89年にはベルリンの壁が崩壊。

丁度同じ頃、ソ連の情報機関、KGBの情報局員として東ドイツで活動していたのが、ウラジーミル・プーチンである。プーチンは90年にKGBを退職、政界に進出する。

一方ケルトンは、91年にソビエト連邦が崩壊した後、ユーゴスラビア紛争が始まっていたバルカン半島に行ったという。

数年後に米国に帰国し、米海軍大学とタフツ大学・フレッチャー法律外交大学院で学んだ。「しばらく使っていなかった脳を使ったので楽しかったね」と、ケルトンは笑う。

彼はCIAとして、それまでどんな“脳”を使っていたのだろうか。まず知っておくべきは、ケルトンのような情報局員は、エージェント(工作員)などと一緒に任務に当たる。

「情報局員の仕事は、様々な情報を集め、エージェントを探して雇い、エージェントを動かして情報を集めるなどの工作をさせることだ」と、彼は説明する。 

CIA職員の仕事は、実はリポートや書類の作成といった作業がかなりのウェイトを占める。閉鎖された秘密主義の世界での活動とはいえ、欧米の情報機関では、すべて法律と規律によって管理されているという。

「情報機関の仕事というのは、仕事ではない」。

ケルトンはそう言って、目を上げた。一度、その世界に入ったら、世界の景色は変わって見える。普通の生活も保証されているわけではない。「かなりのストレスだね」と、ケルトンは言い、こう続けた。

「仕事は家に持ち込まない。敵も多い環境で、常に監視の目が光っており、話せないことも多い。偽名を使うこともある。ただ秘密の世界であっても、米国を守るために働ける特権には責任が伴う」
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文=山田敏弘 写真=帆足宗洋(AVGVST)

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