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世界の現代史を諜報側から見てきた"生き証人"に独占インタビュー

1981年から34年にわたって米中央情報局(CIA)の第一線で活躍してきたマーク・ケルトンが日本のサイバーセキュリティ会社の顧問として来日した。ケルトンの半生は、まさに米国の諜報機関の歴史とも言える。世界の現代史を諜報側から見てきた生き証人に独占インタビューした。


「ジェロニモ、EKIA」

この言葉を聞いたことがあるだろうか。

映画『ゼロ・ダーク・サーティ』のモデルとなった2011年5月2日のウサマ・ビンラディン殺害作戦で、パキスタンからワシントンに伝えられた一文だ。

深夜、アフガニスタンを飛び立った米海軍特殊部隊(SEALs)の隊員らは、パキスタンの首都イスラマバードに近い街、アボタバードに向かっていた。10年近く続いた、米国史上最悪のテロ事件首謀者の追跡劇に終止符を打つ──。ホワイトハウスではバラク・オバマ大統領をはじめとする米政府幹部が固唾を呑んで、現地から送られてくるライブ映像を見ていた。

3階建の隠れ家は、有刺鉄線に覆われた高い壁に囲まれている。隊員たちはヘリから敷地内にロープで降り立ち、3階にひそんでいたビンラディンの胸と頭を撃ち抜いた。わずか40分ほどの世紀の作戦が終わった時、隊員がホワイトハウスに報告した言葉が冒頭の「ジェロニモ EKIA」。「ジェロニモ」はビンラディン、「EKIA」は「Enemy Killed in Action(敵は作戦中に死亡)」という意味だ。

この時、この映像をイスラマバードの米大使館からホワイトハウスに送っていたとされるのが、当時CIA(米中央情報局)のパキスタン支局長だったマーク・ケルトンだ。

世界の裏面史を見続けた証人

それから7年後の18年5月、ケルトンは東京にいた。私の目の前で椅子に腰掛けた彼は、当時のことを振り返って、「非常に困難だが、やりがいのある作戦だったね」と語った。

「あの時期に“あの件”に関与できたことは光栄に思う。というのも、何千人もの命を奪った“あれ”を殺害し、“彼”に然るべき処罰を与えることができたからね」 

印象的だったのは、ケルトンが最後まで一度もビンラディンを名前で呼ばなかったことだ。

ビンラディン殺害後、ケルトンは突如、謎の激痛に襲われるようになる。病状は悪化し、赴任後わずか7カ月の異例の早さで帰国を余儀なくされた。米メディアは、関係が悪化していたパキスタンの諜報機関によって毒を盛られたからだと大々的に報じた。

2年前に退職した彼は現在、サイバーセキュリティ分野で、企業の代表やアドバイザーを務めている。

190cmはあるだろうか。大柄なケルトンは少しうつむき加減に話し、口調は冷静沈着だが、時にはじけるように大声で笑う。ビンラディンの名を決して呼ばなかったように、言葉を選んで慎重に話すのに慣れているのがうかがえた。

ケルトンのキャリアは、米国による諜報活動の歴史そのものだと言っていい。彼はまさに、世界の現代史を諜報側から見てきた生き証人だ。

そもそも、ケルトンはなぜ、スパイが暗躍する諜報機関の世界からサイバーセキュリティの分野に移ったのか。それを紐解くには、彼の34年にわたるCIAでの経歴について触れる必要がある。

文=山田敏弘 写真=帆足宗洋(AVGVST)

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