先人たちの知恵に学ぶ「日本の宿命」への備え

Photo by Carl Court/Getty Images


2011年9月に発生した紀伊半島大水害では、98名もの人が犠牲となった。

台風12号の強い雨によってもたらされたこの災害の特筆すべき点は、土砂の崩壊規模の大きさである。国土交通省が算出した崩壊土砂量は実に1億立方メートル。東京ドーム80杯分もの土砂がほぼ一晩で崩壊するという凄まじさだ。

豪雨によって山全体が水を含んだスポンジのようになり、深層崩壊した。崩壊した土砂が川を堰き止め、いつ決壊するともしれない危険なダムがいくつもできた。あるいは土砂が一挙に川に流れ込んだ衝撃で「段波」(切り立った波の壁)が生じ、家々をあっという間に押し流した。

紀伊半島はもともと雨の多いところであるのに加え、台風によってさらに大量の雨が降ることは、少なくとも1日前に予想されていたという。だが、気象庁が抱いていた切迫感は、各自治体に共有されることはなかった。先ほど紹介した牛山教授の言葉はこの時のことを踏まえてのものだ。

自治体の防災担当者といっても、ほとんどは素人だ。だが「土地の特性」に通じるだけでも少しでも状況の悪化を防げるかもしれない。「まさかここで起きるとは思わなかった」という感想が出てしまう可能性を、いかに日常の取り組みの中で取り除いていくかがポイントだ。

「崩れ」とどうともに生きるか

一方で、自治体の中にはこうした構造的な問題を克服したケースもある。この本が取り上げるのは、片山善博氏が知事を務めていた時の鳥取県の事例だ。

片山知事は就任時に、防災官のポストを新設した。四六時中、防災のことだけを考えている専従者で、いざという時は知事の片腕になる役割である。防災官はそれから1年半後に発生した鳥取県西部地震で、さっそく力を発揮することになった。

災害はいつ起きるかわからない。鳥取県では防災訓練の際も、事前にシナリオを持っているのは防災官だけだという。被害状況は当日に初めて職員に知らされ、彼らは状況に応じて臨機応変に対応しなければならない。これは優れた訓練法だと思う。

作家・幸田文は、72歳の時に静岡県安倍川源流にある“日本三大崩れ”のひとつ、「大谷崩れ」の現場を訪れたのをきっかけに、取り憑かれたように全国の土砂災害の現場を訪れ、『崩れ』(講談社文庫)という異色のルポルタージュを書いた。

初めて大谷崩れの光景を見た時、心に芽生えた思いを、彼女はこんな風に表現している。

「この流れこの荒れは、いつかわが山河になっている。わが、というのは私のという心でもあり、いつのまにかわが棲む国土といった思いにもつながってきている。こんなことは今迄にないことだ」

日本らしい風景といえば、多くの人は里山の田園風景などを思い浮かべるに違いない。だが幸田文は、“崩れ”の場所にこそ日本らしさを見出し、そこに自らの人生を重ねた。

狭い国土に切り立った山が連なる日本列島では、「崩れ」は宿命かもしれない。その宿命のもとにどう生きていくか。それは、この国で暮らす私たちひとりひとりに向けられた問いではないだろうか。

読んだら読みたくなる書評連載「本は自己投資!」
過去記事はこちら>>

文=首藤淳哉

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事