先人たちの知恵に学ぶ「日本の宿命」への備え

Photo by Carl Court/Getty Images

ちょっと屋外にいただけで、重たい湿気を含んだ熱風に気道をふさがれてしまう。けっして誇張ではなく、命の危険を感じてしまうほどの暑さだ。これほどまでに過酷な夏は、近年ちょっと記憶にない。

とりわけ今年は西日本豪雨があった。被災地のことを思うと胸が痛む。

その地で長く暮らしてきた人でさえ経験したことがないほどの激しさで雨が降り注ぎ、災害とは無縁だと思われていた土地が濁流に呑まれた。夏休みの計画を楽しそうに語っていた子どもたちや、身を寄せ合うように暮らしていた老夫婦の命が、豪雨によって奪われてしまった。最愛の人を喪った多くの人々は、いまもこの照りつける太陽の下で途方に暮れている。

豪雨災害はけっして他人事ではない。

日本の国土の約6割は山地で、急峻な山から狭い平地に向けて無数の川が流れ落ちる構造になっている。しかも梅雨や台風の時季には猛烈な雨が降る。森林と水に恵まれる一方で、河川の氾濫や土砂崩れなどは避けて通ることができない。この国に暮らす誰もが災害と無縁でいることはできないのだ。ならば少しでも先人たちの知恵や歴史から学ぶことはできないだろうか。そこにはもうこれ以上、犠牲者を出さないためのヒントがきっとあるはずだ。

川は「川底の土砂」も含めて川

古来、日本では為政者は治水技術を磨くことで領地を治めてきた。

甲府の武田信玄、熊本の加藤清正、佐賀の成富兵庫茂安などがそうだ。河川工学の碩学として知られる東京大学名誉教授の高橋裕氏は、『川と国土の危機 水害と社会』(岩波新書)の中で、こうした優れた治水家に共通するのは、川に対する鋭い観察力だという。

たとえば武田信玄の有名な信玄堤は、堤防を連続させず、わざと切れ目を設けている。氾濫した流れを一時的に溢れさせて堤防が大決壊するのを防ぐ「霞堤(かすみてい)」と呼ばれる構造だ。著者は「河川は本来、ときには手足を伸ばして氾濫したいとの強い意志を持っている」と述べる。放水路や遊水池は、暴れる川を無理やりひとつの河道に押し込めず、氾濫のエネルギーをある程度発散させてやる知恵だ。

しかも川は水の流れだけでなく、川底を流れる土砂もひっくるめて川だという。この本の中に、1950年代当時「川の神様」と呼ばれていた河川技術者とともに、著者が砂防ダムの調査に赴いた際のエピソードが記されている。

「川の神様」によれば、川底の土砂の個々の砂礫の向きや、地下足袋越しに土砂の固まり具合をみるなどして、いつ水が出たかが把握できるという。五感を研ぎ澄ませて川の変化を感じ取るのだ。著者は武田信玄もおそらく洪水の前後の河床の状態をつぶさに観察していたはずだと述べている。

このように河川技術者というのは本来、川の観察のプロでなければならない。現在では各地の河川事務所の所員がこの役割を担っているが、著者によれば、最近は日々の業務に忙殺されるあまり、担当する川にまつわる重要な歴史的事実(洪水時の破堤ポイントなど)を所員が知らないケースも増えてきているという。

これは河川の専門家だけにとどまらない。

紀伊半島大水害で何が起きたかを追った『ドキュメント豪雨災害—そのとき人は何を見るか』稲泉連(岩波新書)の中で、豪雨災害の研究で知られる静岡大学防災総合センターの牛山素行教授は、自治体の担当者も、災害が起きそうな場所や過去にあった場所などを把握し、「土地の特性」への理解を深めておく必要があると指摘している。
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文=首藤淳哉

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