生命にも組織にも「多様性」と「新陳代謝」が必要な理由

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私の持論で、生命の仕組みについて学ぶと、個人の生き方や組織を作り方やにも役立ち、課題解決力も上がるというのがあります。特に経営者や企業の人事に携わる人は、みんな生命の仕組みについて学ぶといいと考えています。

たとえば企業の運営においてありがちな以下のような問いも、生命の仕組みに則って考えるとわかりやすくなります。

・退職率は低ければ低い方が良いのか?
・朝型勤務を推奨すべきか?
・縦割り社会は悪か?
・職場で男女以外の性を認めるべきか?

今回はこうした問いのヒントになると思う考え方を掻い摘んで書きたいと思います。

なぜ、生命は「死」の仕組みを手放さないのか

生命科学に関わる仕事をしていると、よく「人類は不死を実現できないのですか?」という質問をいただきます。

秦の始皇帝が不死を求めたという話があるくらい、昔から人類は不死を切願してきましたが、そもそも何故わざわざ「命を創って壊す」という一見非合理なことを行っているのか、という問があります。

「不死」を実現できるのかという問いに対する回答をする前に、当前ですが「不死」の枠を定義する必要があります。

もしたとえばSF漫画「銀河鉄道999」に出てくる、魂を機械に移植した「機械人」のように、意識だけをそのまま残してロボットに移植した状況も「不死」に含めるというのであれば、いずれは実現可能だろうという回答になります。

しかし実際は、生命における死の特徴は「連続性」の喪失です。例えば体が思考に及ぼす影響とは極めて大きいため、意識だけを切り出したとしても、体がついていた頃の意識が再現性を持って連続的には機能しません。

たとえば夏目漱石の作品や思考をAIに入れてロボット化したとして、もし体がない状態で、月夜を見て肌で感じる夜風の心地よさや、月の光としんとした静けさや人の息づかいや温度の対比に現れる美しさなど、体で感じる微量なインプット情報がなければ「月が綺麗ですね」という表現は出てこないだろうと思います。

つまりその定義に立つと、いくら「機械人」でも連続性を担保した不死は実現できないということになります。

逆にそこからわかるのは、ヒトや生命にとって「死」の仕組みがもたらす恩恵は「非連続性」の意図的創出ということです。
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文=高橋祥子

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