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2018.08.03

強欲資本主義の終わり? ウォール街で広がるESG投資

Fischerrx6 / Shutterstock.com

仕事というものに葛藤はつきものだ。

行き過ぎた資本主義の矛盾があちこちで吹き出し、大資本の欲が社会から批判されることの多いこの時代、大企業や金融機関でそうした資本の「代理人」として働いているサラリーマンには、ジレンマを感じている人は多い思う。何百兆円という巨大な顧客資産を動かすグローバルな投資業界に勤めて、私もそれを感じていた。

グローバルな投資マネーについては、ネットなどで老獪な一部の隠れた投資家が意のままに市場をコントロールしているといったセンセーショナルな陰謀論がよく聞かれる。

でも、私が実際にグローバルな投資運用業界に身をおいて見てきた世界は、それとはかなり違う。市場は混沌として、誰かがコントロールしているリスクよりも、誰もうまくコントロールできないリスクの方が大きいだろう。

そして、何百億円、何千億円という資金を動かす「マネーの代理人達」も、眉間に皺を寄せた老獪な相場師ではなく、多くの普通の生活者、サラリーマン達だ。

その中には人生経験の浅い三十代のファンドマネジャーや二十代のアナリストも多い。システマティックに市場を操縦するというのとは程遠く、彼らは市場という気まぐれで乱暴な動物に日々振り回され、運用成績というプレッシャーに喘いでいる。

雇用は不安定。大きな金融機関であっても、組織のピラミッドの上と下では報酬に何百倍という開きがある。圧倒的多くの人々はピラミッドの下の方にいて、日々真面目に働いて自分や家族を守ろうとしている。また自分の知識や技術を高めて質の高い仕事をしようと、真摯に切磋琢磨している。

投資における「社会」の欠如

それなのに、金融機関や大企業に努める多くの普通の人々が「良いプロジェクト」を求めて一生懸命働くほど、世界のマネーはそれが集まる所に集中し、それが巡らないところでは枯渇して、極端な格差の問題を生む。過剰に流れた投資マネーの調整は、実体経済や社会にも悪影響を及ぼす。

これはなぜだろう。大多数の善良な人々が生活を守ろうと真面目に働くほど社会が歪んでしまうのなら、そちらの方が大資本の陰謀などよりずっと根が深いではないかー。それが拙著「マネーの代理人たちウォール街から見た日本株(ディスカヴァー社)」の出発点となった素朴な疑問であり、投資業界に身を置いたものとしての私自身のジレンマでもあった。

世界の投資マネーが偏った方向に流れる背景には、それが多くの代理人の間を流れる構造の中で、代理人が顧客利益よりも自らの利益を優先してしまう「エージェント・リスク」の問題がある。また、与えられた仕事は忠実にこなすが、そこから先は考えないという多くの「専門プロ」の視野狭窄や思考停止もある。そして、もうひとつの原因は、これまで投資マネーの目的そのものに「社会」という言葉が欠落していたことである。

個人マネーを託された年金基金や投信や金融機関であれ、そうした「アセットオーナー」と呼ばれる法人顧客から資産を託された運用会社であれ、他人のマネーを預かる代理人はいずれも、顧客の目的達成のためにベストを尽くすという「信任義務(フィデューシャリー・デューティー)」を負う。

しかしこれまでその信任義務には「リスク」と「リターン」という概念しかなく、投資リターンの査定も、ファンドマネジャーがベンチマーク(=比較に使われる市場インデックスなど)をその年に何パーセント超えたかという数値ばかりが重視された。
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文=小出フィッシャー美奈

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