ビジネス

2018.07.27

投資家 松山太河「仕事が99%だった僕の20代。もし、戻れるなら・・・」

投資家の松山太河


スタートアップに引き寄せてくれた恩人で、投資家としての師匠との出会い

主な業務内容はマーケティングでしたが、投資家としての考え方の土台も、この頃から少しずつでき上がったような気がします。特に西川さんは僕をスタートアップに引き寄せてくれた恩人であり、投資家の師匠のような存在です。


ネットエイジ創業者 西川潔さん

西川さんはKDD(現KDDI)やアーサー・D・リトル、AOLジャパン(現:Oath Japan)といった大企業を経てスタートアップした人。大企業の問題もよくわかっていて、どことなく気質も合ったんですよね。年齢は20歳くらい離れていましたが、僕にもフラットに接してくれて。「若者だから」と馬鹿にすることもなく、いろんな仕事を任せてもらいました。

性格は明るくて朗らかで、楽観的。スタートアップはハードシングス(困難な課題)にぶつかり、生きるか死ぬかヒリヒリしながらやっていくのですが、西川さんは常に前向き。「将来、みんなハッピーになるんだ!」といつも言っていましたね。

何よりすごいのが、西川さんは失敗した投資を覚えていないこと(笑)。スタートアップへの投資を行っていれば当然、成功する会社もあれば、失敗する会社もあります。ダメになった会社を「どうしてダメになったのか?」と詰める投資家もいますけど、西川さんは「僕は天才なんじゃないかな。1回も投資で上手くいかなかったことはないな」と。

僕は記憶力がある方なので、「あれ?」と思うんですけど(笑)。ある種の忘却力というか楽観的でいることが、投資家にとっては強みになると学びました。

実際、西川さんが起業家を詰めている場面は一度も目にしたことがありません。それこそ当時、20代前半の起業家にも投資をされていましたけど、常に対等な立場で接していましたね。

「次の世代のためにお金を出してください」、20代の終わりにファンド設立

20代前半から半ばの思い出はネットエイジ一色。それこそ、「生活の99%が会社」という感じで、いくつかのプロジェクトをやらせてもらいました。ただ、働いていく中で、僕は事業よりも投資に興味を持ち始めていました。

2005年当時、起業家は増えていたものの、投資家は不足していました。周りの起業家が資金を集められない状況も眼にしました。僕はこの状況を変えたいな、と思ったんです。

会社をイグジットした起業家とのネットワークもあったので、まずはその方たちのところを回り、「次の世代のためにお金を出してください」とお願いしました。それでできあがったのが、クロノスファンドです。エンジェル組合として、創業初期への投資を始めました。20代後半のことです。以降、ずっと投資家人生を歩んでいます。


同級生のフリークアウト本田謙氏とメルカリ山田進太郎氏と共にイベント出張に向かう際の新幹線車内での一コマ

初期の投資先は学生時代の繋がりがほとんど。たとえばフリークアウトの本田謙は高校の友達。ユーザーローカルの創業者で早稲田時代に「みんなの就職活動日記」をつくった伊藤将雄は、大学で最初にできた友達です。

彼が設立メンバーの一人として立ち上げた「早稲田リンクス」というIT系のサークルがあって、その3代目の代表がウノウやメルカリ創業者の山田進太郎。僕自身はこのサークルに入っていませんでしたが、早稲田経由での知り合いはたくさんいました。

僕自身はパッとしない学生生活ではありましたが、人には恵まれていましたね。
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文=大崎真澄 写真=小田駿一

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