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ブログ的文体とメール的文体

若林:ある時期、ちょうど『WIRED』の仕事をはじめる前の数年間って、わりとヒマだったのか、友人に宛てて、1メートルは優にあろうかという長尺のメールを送りつけるっていうのを、やたらとやってたんですよね。日々気になったこととか、あるニュースに関するコメントとかを、大量に書いてたんですね。その影響はあるかもしれないです。

畑中:そう言われると、若林くんの文章はあまりブログっぽい文体ではないかもしれないね。

若林:どうなんですかね。ただ、ブログっぽい文体って、雑誌やウェブメディアに関わってた側から見ると、なんというか「メディアに載ってそうな文章」を踏襲してる感がやっぱり強くて、個人的には面白くないんですよね。noteにアップされる原稿とかも、若干そういう感じがするんですよね。

畑中:読者対象の設定や、書き手としてのキャラクターの付け方も、従来のブログの様式に則っている感じはたしかにしますね。

若林:若い子の文章をネット上で見ていると、型をなぞることに一生懸命な気がするんですよね。まあ、いきなりオリジナルな文体で書けと言っても、それは難しいし、やっぱり技術がいるわけですし。

畑中:そういう技術でいうと、僕は、柳田國男や中沢新一さんの文章は憧れとしてずっとあるんです。本当にうまいんです。それは話の展開のうまさだったり、読者の期待を上手に裏切るテクニックだったりで。例えば、柳田國男のエッセイに「サン・セバスチャン」というタイトルのものがあるんですが、読み進めても読み進めても、そのお題となっている「サン・セバスチャン」の話題にならないんです。で、途中で「そろそろサン・セバスチャンの話をせざるをえない頃合いだが」とか言いながら、まだしない(笑)。

柳田や中沢さんの文章は、読者が「これはきっとこういう話なんだろう」という予断を、鮮やかに裏切りながら、それでいて読み終わったあとには、満足のいく読後感になっているんです。

若林:それこそ連載をお願いしていた「21世紀の民俗学」の原稿でも、畑中さんがよくやっていたのは、最初に出した話題を途中でいきなり変えて、それで、どこかで最初の話に戻るのかなと思ったら、そのまま違う話で終わるという(笑)。でも読んだ方としては、最初に出た話題の余韻の上に折り重なるようにして、次の話題が語られているので、単純に話が変わってるというわけではなくて、それぞれが響きあうようになっているんですよね。それが読後の余韻につながる。

畑中:民俗学や人類学っていうのは、遠くはなれたものを結びつける学問だと思うんです。神話や民話を扱うときに、例えばそこに出てくる登場人物によって分類したりするやり方があるんですが、僕はそういうやり方では、神話や民話の本質はわからないって思っていて、そこで重要なのは、そこに込められた「感情」なんです。

つまり、登場人物も物語の構造もまったく似ていない話であっても、その底流に共通する「感情」を見い出せるのであれば、それらを結びつけることができるわけです。それは一見するとこじつけのように思えるかもしれないんですが、自分にとっての民俗学っていうのは、そういうものなんです。

若林:畑中さんの文章は、本の引用も多いですよね。

畑中:ぼくの文章は「引用の織物」を作っているという側面もあるんです。一つの本を書くというのは、いろんなところから物事をつなぎ合わせる、ということでもあると思うんです。

文・写真=太田明日香

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