書き手としても注目を集めるのが、『WIRED』元編集長の若林恵。テクノロジー誌面の枠にとらわれない数々の企画を連発した彼だが、音楽や人文学など幅広い知見に基づく文章も評判が高い。今年3月には同誌巻頭言や散発的なエッセイがまとめられた『さよなら未来』を刊行。タイトルに込められたメッセージとともに、一躍話題となった。
若林は全国数十カ所をめぐるジャパンツアーを開催。6月1日に大阪スタンダードブックストアで対談したのは、WIREDでのWeb連載をまとめた『21世紀の民俗学』などの著書をもつ畑中章宏。妖怪や災害などの伝記と最新のテクノロジーや文化を組み合わせた独特の視点で、現代社会を独自の目線で切り取っている。
平凡社のグラフ誌『太陽』の編集者という共通のバックボーンを持ちつつ、元々文章を書くことが上手だったわけでも、好きだったわけでもないと語る二人。そんな彼らが自ら進んで文章を書き、「著者」と呼ばれる立場に身を置くようになったのは、なぜなのか。
そのきっかけを、まずは畑中が切り出した。
畑中:初めての単著は『日本の神様』という本でした。これは、「仏像」ではなく、日本古来の神様を彫刻として表した「神像」をテーマにしたものだったのですが、「よりみちパンせ!」というシリーズの一冊として刊行するものでしたので、若い学生さんなんかが読んでもわかるように書かなきゃいけなかったのですが、これに非常に苦労しまして。
若林:畑中さんは平凡社にいた頃から、「話すと饒舌なくせに、文章になるとやたらと硬い」と言われていたんですよね(笑)。
畑中:そうなんです(苦笑)。で、何度書いても硬いんです。そこで業を煮やした担当編集者が、「畑中さん、大阪弁で書いてみたらどうですか?」と提案してくれて。そうしたら、自分でも驚くほどスラスラ書けたんです。ちなみに『日本の神様』という企画は別冊太陽の一冊として『神像の美 すがたなきものの、かたち』というムックをつくったのがきっかけで。このムック、実は若林くんとつくったものだったんです。
若林:2004年かな。懐かしいですね。あんまし売れなかったとは思うんですが、色々と勉強になって面白かったですよね。写真家の澁谷征司さんに、大分の宇佐八幡宮に行ってもらったり。ヴィジュアルもキレイな本で、近藤一弥さんがデザインを手がけてくれました。
畑中:あれをつくった当時は、まだ「神像」って言葉がまったく一般的には知られていなかったんですが、実はあのムックをきっかけにして、「仏像」ではなく「神像」がちゃんと展覧会で展示されるようになったので、地味ながら影響力があったんです。
若林:へー、そうなんですね。やって無駄じゃなかったんですね(笑)。
畑中:で、話を文体ってところに戻すと、若林くんの文体って話すように書いているような印象があるんですね。本人と文章がかけ離れていなくて、素のままという感じがする。
若林:それって、褒めてます?
畑中:もちろんです(笑)。
若林:畑中さんには、「君の文章は良くない」ってことあるごとに言われた記憶しかないんですが(笑)。でも、そう言われると、たしかに畑中さんは好きじゃない文体なんだろうなと思うところはありまして。『WIRED』のウェブサイトで「21世紀の民俗学」を連載していただいていたときも、たしかに畑中さんの文章、硬いんですけど、無駄な技巧を排除したストイックな感じはあって、それでいて余韻や叙情がちゃんとある感じはして、毎回すごいと思ってたんですね。羨ましいというか。自分も本当はそういうストイックな文章書きたいけど、全然できないんですよ。
畑中:ブログっぽいっていうのともちょっと違うよね。
若林:もしかしたらメールっぽいっていうのはあるかもしれないです。
畑中:あ、たしかに。