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ライブで唄う、サカナクションの山口一郎(撮影:八木咲)

「これ以上は厳しい、もう趣味でやればいい」

小さい頃から、音楽好きの父のレコードを聴きながら育ちました。実家は喫茶店を営んでいて、その店にはいつも、地元の音楽好きたちが集まっていました。

音楽とは切っても切り離せない人生を送ってきましたが、一度だけやめようかな、と本気で考えたことがあります。

それは23歳のとき。自分が目指している音楽が全然認めてもらえず、「これ以上は厳しい、もう音楽は趣味でやればいいや」と思ったんです。

音楽をやめてカメラマンになろう。そう考えて、実際に結婚式場のカメラマンのアシスタントの面接に行ったこともあります(笑)。

ただ、面接に行って担当の女性の方と話した瞬間、「自分とは全然違う人種だ」と感じました。決してバカにしているわけではありません。でも、そのときに改めて、ミュージシャンとして自分が今までに生きてきた社会と、自分の周りの人が生きてきた社会は圧倒的に違うんだな、と思い知らされました。

振り返ると、「もう音楽で生きていくしかない」と、そのとき腹を括ったような気がします。他にも、20代に経験した失敗や挫折は数え切れません。むしろ、失敗しかなかったですね(笑)。失敗しているということにも気づいていない時代もありました。

今から振り返ると、もっと早く挑戦して、もっと早く失敗したかった。早く失敗すれば早くやり直せる。準備期間を長くとってしまうと、もう一回チャレンジすることが難しくなっちゃいますからね。

「美しくて難しい」ものは、東京では評価されない

そんな北海道時代を経て、メジャーデビューを機に上京しました。27歳のときです。上京するにあたって、ずっと一緒に札幌で活動していた女性のバンドメンバー2人を東京に連れてくることになりました。

当然、彼女たちの人生を自分は背負わなければいけない。絶対に成功しなきゃいけないというプレッシャーがありました。

ついに10年間の下積みを経て、デビューのときがやってきました。念願のメジャーアルバムを発売。でも、待ち受けていたのは厳しい現実でした。売れた枚数はたったの1800枚だったんです。

僕にとってのメジャーデビューは、「東京」デビューでした。


メジャーデビューしたときのサカナクション(写真提供:Victor Entertainment)

北海道にいた頃、僕はマイノリティー側にいました。クラブミュージックにしても文学にしても、好きになるのは決まって、メジャーじゃないもの。

東京には、僕みたいな人たちがたくさんいる。そう思っていました。僕が大好きな「美しくて難しい音楽」をつくれば、きっと多くのファンがついてきてくれるはず。

しかし、現実は違いました。思った以上にミーハーな街だった(笑)。再び挫折です。「あぁ、これからはこの世界で戦っていかなきゃいけないんだ」という、絶望感すらありました。

マイノリティーの立場でいながらマジョリティの中で存在する

そうした世界に迎合し、音楽をつくっていく選択肢もあったと思います。でも、僕は自分が好きな音楽を捨てたくなかった。

マイノリティーの立場でいながら、マジョリティの中で存在するにはどうしたらいいのか。そんなことを考え続けていたあるとき、突破口が開けたんです。

たとえば、高校のクラスの30人の中で20人に評価される音楽をつくるには、マイノリティである自分を捨てなければいけない。でも、1人か2人に深く刺さる音楽なら、やり方を少し変えればできるかもしれない。その1人か2人が全国に広がれば、それはマジョリティになるよね、と。

じゃあそういう音楽ってどんな垣根を持った音楽なのか? どうやったら実現できるのか? そんなことを、どんどん深堀りしていきました。

文=明石悠佳 写真=小田駿一

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