例えば一橋大学の楠木健教授は「努力の娯楽化」という言い方をしています。つまり、人は好きなことをやっているとき、苦痛を感じることも含めて、楽しいと思っているはずなんです。
没頭って、最中は幸福感がありません。それよりも、気付いたら「あっ、こんなに時間経ってた」と時計を振り返って、あとからじわっと「あ〜楽しかったな」って反芻したりするのが、没頭の幸福感だと思います。
そういう経験って誰にでもあるはずです。それは、大切なお客様が喜んでくれる顔を思い浮かべながら役立つ資料を作ることかもしれないし、社内で誰かと誰かの揉めごとに割って入って、こんがらがった糸をほぐしていくことかもしれません。そういう、ついつい引き受けたくなること、時間を忘れてやってしまうことを探してみるのもいいと思います。
それでもピンと来ない場合は、ストレングスファインダーのテストを受けてみるのもいいかもしれません。実は、ストレングスファインダーの強みの上位に来るものこそ人を没頭させる傾向がある、と統計でも言われているのです。僕は毎年テストを受けていますが、何度やっても「着想」がずっと一位です。
何気ない作業の中に“自分の色”を見つける
僕は、昔からアイデアを考えることが好きでした。それを自覚できたのは、特技の議事録のおかげだったと思います。まだガラケーもないころ、若いうちからパソコンを触っていたせいで人一倍タイピングが早く、学生時代からボランティアなどで会議があると、大人に混じって、議事録をとっていました。
とはいえ、初めのうちはかなりいい加減な書き方でした。それだと自らすすんでやっていても、役には立てないのです。なので、会議後に人に聞いて回ったり、さらに読みやすくするにはどうしてほしいか聞いたりしていました。当然、努力はするわけですが、これは僕にとって、まさに時間を忘れるくらい、楽しい努力でした。
そうやってクオリティが上がっていくと、一人一人の発言を進行ごとに書いたり、僕が勝手に要約したものを提供したりしても、誰にも文句を言われなくなりました。作業も、好きなようにまとめられるのでより効率的になるんです。つまり、相手に求められるものをきっちりやっていくと、自由度が増えるということです。
そこからやっと、自分の個性を色付けできます。さりげなく「ここが議論されてなかったですよね」とか「この議論をもっと膨らませてみては」みたいなことをメモしてみようとか、「議事録役ですけど、僭越ながら」と言ってちょっと意見をしてみるとか。そういうことも、「いつもいい議事録してくれてるし、あいつがいうなら一理あるな」と思ってもらえるのです。つまり、周りが認めてくれると、自分の強みを生かしやすくなるのです。
僕は自分流の議事録が確立していくにつれ、どうして議事録を取るのが好きなのか、わかってきました。僕が好きだったのは、ただただ正確に誰かの言葉をまとめることじゃなくて、実は、誰かの言葉を、よりわかりやすい言葉でまとめることでした。
つまり、強固な「好き」とは、ちょっと辛くても、「なんだかんだ言っても、楽しいんだよな」と思える努力を繰り返していくうちに、いつの間にか言語化されるものでもある、と思うのです。
連載:ポストAI時代のワークスタイル
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