視察が続々、「高齢者福祉の先進地」 奈良県生駒市の立役者

奈良県生駒市の福祉健康部次長、田中明美


田中が民間企業から市役所へ転職したきっかけを辿ると、約30年前に母親が脳腫瘍で倒れたことに行き着く。当時、民間企業に勤めていた田中は、同社系列の病院を母に紹介し、大手術の末、母はどうにか命をつないだ。

しかし、術後に後遺症が残り、意識のない状態が続く。当時、田中が見舞いに来るたびに、看護師が母の体に触れながら、一生懸命、声をかけていた。その甲斐があってか、ある日突然、母が目を覚ます。その後、リハビリを経て最終的には杖を使って歩けるようになるまで回復をしたのである。

憧れが転じて天職に

看護師の手厚い仕事と熱い想いが、最愛の母に再び命を吹き込んだ。田中の胸の内では、看護師に対する憧れが日増しに膨らみ、やがて、自ら看護師になろうという決断につながる。

母親の手術のすぐ後に、田中は人生の伴侶を見つける。当時、結婚後の女性は専業主婦として家庭を守ることが常識とされていた。しかし、看護師になることを諦めきれなかった田中は、子育てをしながら看護学校に通い、正看護師と保健師の資格を取得した。

育児が大変な時期に、生駒市役所が保健師の職員を募集していることを知る。子どもが落ち着いた後に、病院へ転職しようと決め、試験を受けて合格。いざ、市役所に入って仕事をすると、想像以上に面白く、同時に、大きなやりがいも感じた。

振り返ると、役所の仕事の魅力に取りつかれているうちに、23年を越える年月が経った。育児と勉強を両立させながら資格を取得したにも関わらず、かつて抱いた看護師という夢は未だ叶っていない。

しかしながら、それはむしろ喜ばしいことなのかもしれない。なぜなら、いま田中はかつての夢以上にやりがいのある、まるで天職ともいえる仕事に就いているのだから。

連載 : 公務員イノベーター列伝
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文=加藤年紀

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