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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

何年か前、朝のテレビ番組にコメンテーターとして出演していたとき、丁度、その番組が始まる時間に、都内で、警察が出動する犯罪事件が起こり、急遽、番組を実況中継に切り替えて放映した。

そのとき、番組を担当するプロデューサーが語った言葉が、心に残っている。

「この事件で被害に遭われた方のことを考えると、こんなことを言ってはいけないのですが、番組的には、有り難いタイミングでの事件でした…」

この言葉を聞いたとき、一人の写真家のことを思い出した。それは、「レンズの眼を持つ哲学者」と呼ばれる戦場写真家、ジェームズ・ナクトウェイ。いまも世界各地で様々な戦争が引き起こされているが、彼は、そうした苛烈な戦場に身を投じ、極限の状況にある人々の姿を写真に収め、戦争の悲惨を世界に伝え続けてきた。

その彼の活動を伝える映画、『戦場のフォトグラファー』において、ナクトウェイは、次の言葉を語っている。

写真家として最も辛いのは、他の誰かの悲劇で得をしていると感じることだ。

この考えは、常に私につきまとう。

人々への思いやりよりも、個人的な野心を優先すれば、私は、魂を売り渡すことになる。人を思いやれば、人から受け入れられる。そして、その心があれば、私は、私を受け入れられる。

ナクトウェイが内省的に語る、この言葉を聞くとき、我々は、自分の心の中にある密やかな野心やエゴの存在に気がつく。そして、そのとき、ナクトウェイという人物の強さが、いかなる強さであるかを理解する。

自分の心の中の野心やエゴの姿が、見えている。それが見えているからこそ、流されない。それは、彼だけでなく、我々人間にとっての「真の強さ」であろう。

そして、その意味で、冒頭のテレビプロデューサーもまた、自分の心の中が見えているからこそ、あの言葉を、自戒を込めて語ったのであろう。

しかし、最近のテレビや雑誌を見ていると、「他人の不幸や悲劇」を売り物にすることへの自戒が失われているように感じるのは、筆者だけではないだろう。

だが、そのことを嘆きながらも、テレビの視聴者であり、雑誌の読者である、自分自身の心の中を見つめてみるならば、そうした番組や記事に、つい目を向けてしまう「もう一人の自分」がいることにも、気がつく。

そうであるならば、テレビや雑誌というメディアの現状は、決して「メディアの堕落」といった簡単な言葉で表現できるものではない。

いずれ、メディアと視聴者、読者は「一対の鏡」。我々の心が、メディアに影響を受けるだけでなく、我々の心の在り方が、メディアの姿勢を引き出している。それも、もう一つの真実であろう。

そのことを考えるとき、昔から密やかに語られる一つの言葉の怖さを、改めて思う。

「他人の不幸は、蜜の味がする」

この言葉に示される、我々の心の中の「小さなエゴ」。それは、誰の心の奥深くにもある。されば、もし我々が、真に「他者への共感の心」を大切にしたいのであれば、その前に、我々は、心の奥深くに潜む、この落し穴を見つめなければならない。

文=田坂広志

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